オーストラリア(シドニー)の専門学校で幼児教育を学ぶ留学体験(三沢敦子さん)

 

担任のバーバラ先生

 担任のバーバラ先生

 

■時間がなかったので、現地で学校を見つける事に!ポイントは事前に調べてリストアップしておく事!

 

 

–オーストラリアに幼児教育を学びに行くと決められた後に、実際にどのような手続きを進められたのでしょうか?

私の場合は、ギリギリまで仕事をしていたりなど、本当に時間がなかったので、インターネットとかで何個か幼児教育を学べる学校を見つけておいて、シドニーに行ってから1ヶ月で学校を決めました。

学校の情報を得るのは結構難しかったので、目途はつけておいて日本と現地のエージェントに相談しました。

 

–えっ、現地で見つけられたのですか?見つからなかったらどうするかとか不安はなかったのでしょうか?

 

はい、何とかなるかなと。一応何校か目途をつけていたのですがそこには行かず、現地のエージェントで紹介をしてもらい、即決で決めました。その探している間に1ヶ月ほど語学学校に通いました。

 

1ヶ月は、住む場所や英語力も含め、オーストラリアでの生活に慣れるのに使いました。学校は現地の留学センターの方がすごく親切に教えてくださって私の英語力も考慮した上で、最終的に決めました。

 

–おぉ、現地についてからもすぐなのにやる事いっぱいで充実してますね!ちなみに英語力についてですが、やはり旅行会社にいらっしゃったという事はかなりできたのですか?

 

いや、全く(笑)会社の中でも一番できないくらいで、この後、お話しますが、留学中も英語力については相当苦労しました。

実は、大学に行くという選択肢もあったのですが、英語力の問題で1年間もしくは半年は英語だけ勉強しなきゃいけなくて、この選択肢は断念しました。つまり、英語力についてはそれくらいのレベルです。

 

 

■3年のコースを2年に短縮!高校生のような授業スケジュールでした!

虹が綺麗なシドニー

虹が綺麗なシドニー

 

–では、次に留学中の生活を聞かせてください。ざっくりとどのような過ごし方をされていましたか?

 

はい、私の取ったAdvanced Diplomaのコースは、実は3年のコースだったのですがそれを2年間に縮める事ができたので、そうしました。

学校に通いながらでしたが、現地の日本食レストランと旅行会社で少し働き、その後、実習先の保育園でアルバイトして生活費をまかなっていました。

 

–3年間のコースを縮める事ができたという事は、授業も2年分を3年で行ったという事でしょうか?

 

はい、そういう事になります。授業数は3年分ですが期間が2年でした。私のコースでは「Certification」「Diploma」「Advanced diploma」という3段階のコースがあって、通常1年に1つづつなのですが、それを2年で取った感じです。

「3年のコースを2年にできる」というのもこの学校を選んだ大きな要素でした。

留学中は、夏休みはほとんどなかったり、実習で忙しかったので、本当に集中して勉強ばかりしていたのですが、海外で必死に学ぶ事自体が毎日の充実に繋がっていました。

 

–おぉ、日本の大学で言う3年卒業みたいですね!1日のスケジュールはどのようなものでしたか?

 

クラスは12時に始まり、17時に終わります。大学生みたいに結構授業の隙間が空くような1日ではなく、高校生のような感じで授業があり、月曜から金曜まで授業がびっしりでした。

その後に予習や復習などがあり、本当に集中して勉強した事しか覚えていないくらいです。とにかく私は3年分を2年で行うので、このような感じでした。他の人はもう少しゆるかったんですけどね。

 

–ちなみに、3年間のコースを2年で行う時に学費は変わりませんでしたか?

正確には少し違うのかもしれないのですが、特に変わりませんでした。やる事は変わらないので。3年分の学費を2年で払う感じです。

 

–なるほど。幼児教育のコースの授業はどのようなものがありましたか?

色々ありましたが、例えば「0歳〜10歳までの子どもの発達について学ぶ授業」「児童心理学」「子どもの病気・リスク管理」などが最初のCertificationのコースのレベルでした。

DiplomaやAdvanced diplomaになると経営的な視点が入ってきました。例えば「保護者対応」「施設のマネージメント」「教育プログラムの作り方」などの授業がありました。

 

■クラスで一番英語ができない自分「人生で初めて劣等生になりました」

授業の合間に外でゆったり

授業の合間に外でゆったり

 

–なんというか日本語でも学ぶのが若干難しそうな分野だと思うのですが、英語での授業は大丈夫でしたか?

大丈夫じゃありません、必死でした。本当に人生で始めて劣等生になりました。学校に入るのに一応基本的な英語の試験は受けたので、全くできないというわけではなかったのですが、そこはなんとか乗り切りました。

 

–クラスメイトはネイティブばかりでしたか?

いや、そうでもなく、ノンネイティブも多かったです。ですが、シンガポールの出身だったり、インターナショナルスクールに通っていた子が多かったので、みんな、英語ができて。。

たぶん、私がクラスで一番英語ができなかったと思います。

 

–英語力の問題は日本人が海外で必ず直面する課題ですよね。具体的にはどのような事に苦労されましたか?

はい、まず最初の苦労がテキストを読む事でした。

 

–あ、確かに!まずそこですよね!海外の学校はすごくリーディングをさせられると聞いた事があるのですが、どうでしたか?

 

量は多くないのですが、専門的な事を学んでいるのでたくさん専門用語が出てきて、それを事前に辞書で調べておかないと、授業についていけないので大変でした。

 

–その他の英語の苦労はどのようなものがありましたか?

 

う〜ん、やはり「聞かれている事はわかるものの、それを英語でうまく答える」というのができなかったです。。日本語ではきちんと説明できるけど、英語だとそれができなくて。

「言いたい事は頭の中ではわかっているけど、それを英語で論理だてて説明することができない。」という事に、いつも悔しい思いをしていました。

 

–それは日常生活でですか、それとも授業で?

 

どちらもあるのですが、特に授業でそう感じました。向こうの授業は議論をする事も多いので、そういう時に語彙力が足りなくて、簡単な表現になってしまう事が多かったです。

日本語だと文法を少し崩してプレゼンをすることもできますが、英語だとどう崩していいかわからないので、「本当は私はこういう事を言いたいんだけど。。。」という事が毎日繰り返されていました。

 

–外国語だとどうしてもなかなか難しい部分ですよね。ちなみに、そのような大変な状況でなんか対策などはされていましたか?

 

はい、「伝えるための工夫」というのはしていました。例えば、プレゼンテーションのパワーポイントはなるべく画像とかを使って可視化していくとか、事前に配布用の資料を用意しておくとか。

「言葉では説明できなくても、資料を見ればわかる」という状態にしていました。

私のクラスは高校を出たばかりという若い子が多かったので、社会人経験があるのが生きました。仕事で培ったスキルを使っていく事で英語力の壁を乗り越える工夫をしていました。

 

–くじけそうになる所をあきらめなかった感じがすごく伝わってくるストーリーですね。少し話がそれてしまうのですが、クラスメイトが若い人が多かった事は気になりませんでしたか?

 

全然気になりませんでした(笑)何人か年上もいたのですがほぼ10代か20代前半でした。

日本人が若く見えるというのもあったのかもしれませんが、向こうは敬語とかも日本ほどないように、年齢を気にしない文化はあるので、全く気にはなりませんでした。先生とかも、普通に「バーバラ」とフランクに呼んで、友達にするような恋愛相談とかをお互いしてましたし。

 

■オーストラリアの教育は子ども主体でプログラムが作られる。

Childcare Centerで子どもと戯れる

Childcare Centerで子どもと戯れる

 

–次はオーストラリアで学んだ教育について聞かせてください。何か日本の教育との違いは感じられましたか?

 

はい、日本との違いという点では教育プログラムの作り方が一番違いを感じました。

 

–教育プログラムの違いというと具体的には?

 

オーストラリアは、「子どもが興味を持った事にひもづけてプログラムを作成する」という「Emergency program」と呼ばれる方法を取ります。

例えば、1人のお母さんが妊婦で子どもたちが「なんで、お腹がどんどん出て行くんだ」という事に興味を持ったら、翌週には「妊婦の絵を描くというワーク」「カエルは卵から生まれるなどを教える知識系のプログラム」「妊婦のように体に重りのようなものを入れてバランス感覚を育む運動系プログラム」など、どんどん新しいプログラムが作られます。

日本は、年間を通して行う事は全て決まっているのに対し、向こうは「3歳くらいまでにこのくらいの事ができたらいいよね、5歳くらいまでにはこのくらいの事ができてたらいいよね。」というという考え方の元で、子どもが興味を持った事ベースにプログラムに反映していくので、子どもたちが自然に色々な能力を身に付けていくのを感じました。

 

–子ども主体で教育プログラムが作られて行くんですね。

 

はい、そういう事です。

興味を持って能動的に取り組む事で、子どもたちは、自然とはさみが使えるようになったり、自然と速く走れるようになったりと成長していきます。

この教育方針は私にはとてもおもしろかったです。本などで知ってはいたのですが、「あっ、実際にこうやってやるんだぁ。」と肌で感じる事ができたのが貴重な学習でした。

 

■シドニーの現地の保育園で教育実習、そして今の仕事へ

学校の先生たちと

学校の先生たちと

 

敦子さんは、2年間の在学中に、現地の保育園での実習を体験し、アンネイティブな日本人でありながら、実習後もアルバイトで働く事に!そして、留学中「自分の気持ち」に気づき現場ではなく学童保育のマネージメント職に就きます。

 

次回は、その実習中の出来事、そして、敦子さんの帰国後の人生についてご紹介します!

 

【2015年5月26日追記】

後編記事「オーストラリアでの保育園実習!「みんな、違っていて当たり前」は幼児教育から。(三沢敦子さんVOL.2)」配信いたしました!

 
 
榎本 晋作
28歳の時にワーキングホリデーでイギリスに。ロンドンでは留学エージェントの立ち上げを経験。在英中に立ち上げた自身のブログは日本ブログ村PV(アクセス)ランキング1位。帰国後『イギリス・ワーホリ留学ガイドブック』を電子書籍にて出版し、Amazon海外留学対策ランキング1位を獲得。高3時点での英語の偏差値は32。(今でも苦手です。)