オーストラリアでの保育園実習!「みんな、違っていて当たり前」は幼児教育から。(三沢敦子さんVol.2)

留学中のシェアメイト(ドイツ人)と

 留学中のシェアメイト(ドイツ人)と

 

■社会人経験が生きて、そのまま保育園でアルバイトをする事に!

 

–実習が終わった後は現場で働く機会はあったのでしょうか?

 

はい、実は2回目(Diploma)の実習の後に、先生から「このまま働かない?」と誘われて、そのままその保育園でアルバイトをする事になりました。

 

–現地で採用!?それ、すごいですね! 

 

はい、実習中に、先生方に気に入られたみたいで。日本人は、気が回るし、社会人経験もあったので、掃除とか片付けなど「言われてない事」でも率先して行動していたので、他の学生よりも意識が高かったということが決め手になったようです。

 

–前回、「3年分の授業を2年につめて取った」とおっしゃっていたのですが、その忙しい中でアルバイトをする時間があったのでしょうか?

 

はい、学校自体は12時から始まるので、その前の午前中の時間でアルバイトをしていました。本当に忙しくなりましたが、海外の教育現場で、お金をもらいながら学べたのは私にとって本当に貴重な経験でした。

 

■ゲイのペンギン??多様性を大事にするオーストラリアの教育

ゲイ・レズビアンが多い街。Mardigraというパレード

ゲイ・レズビアンが多い街。Mardigraというパレード

 

–では、次に、オーストラリアの教育現場で敦子さんが「これはおもしろかった!」と感じた事を教えていただけますでしょうか。

 

はい、前回お話した、子どもが興味を持った事から教育プログラムが作られるEmergency programです。日本とは違う素敵なシステムでした。

 

もう1つおもしろかったのが、やはり多様性に対する考え方についてでした。

先ほどもお伝えした通りに、オーストラリアは、非常にマルチカルチャーな国で、人種、国籍の他にジェンダーも多様でした。例えば、お母さんが2人いる子どもがいたり、先生もゲイだったり。

 

–お母さんが2人というと?

 

はい、つまり、同性愛の親です。シドニーは世界の中でも同性愛者の数が多い都市なんです。そのような背景からだと思うのですが「十人十色」という事を強く感じ、それが教育の現場でも授業や環境などに取り入れられていました。

 

–あっ、なるほど。そうなんですね。現場では、どのような形で多様性に関する教育が取り入れられていましたか?

 

はい、授業で使う人形は様々な肌の色の物が合ったり、ウェルカムボード(幼稚園の入り口にあるボード)も様々な言語で書かれていたりなどしていました。

あとは、ゲイのペンギンのカップルの絵本を授業中に使ったり。日本では問題になる可能性のある事もあちらでは普通というか当然あるべき事として教えていました。彼らは1人1人が違っていて当然だという事をしっかりと教育していくのだと強く感じました。

だから、先ほどお話したように、私が日本人で語学が苦手な事も当たり前のように受け入れてくれて、普通に過ごせました。

 

–よく言われる「多様性を大事にする社会」というのは教育により、育まれるものなのですね。ちなみに、留学中に、学校以外で楽しかった事はありましたか?

スタバが撤退するくらい街のコーヒーが美味しい!

スタバが撤退するくらい街のコーヒーが美味しい!

 

う〜ん、ずっと勉強や仕事が大変だったので、あまりオーストラリアそのものを楽しむという事はできなかったかもしれません(笑)

でも、休日に世界中のご飯を食べに行ったり、コーヒーを楽しんだりするのは好きでした。シドニーはパリよりカフェが多いと言われているので、コーヒー好きには魅力的な街だと思います。イタリアンコーヒーは外れがない印象です。

 

 

■永住権のチャンスもあったが帰国。留学して気づいた、自分の本当にやりたい事。

学校の先生たちと

学校の先生たちと

 

–では、最後に敦子さんの留学後のキャリアについて聞かせていただけますでしょうか?学校が終わった後はどのような過ごされ方をしていましたか?

 

はい、私の場合は大きく分けて2つ選択肢がありました。1つ目は「オーストラリアに残る道」もう1つは「日本に帰る道」です。

オーストラリアに残る場合は提携している大学に編入して、卒業後にそのまま永住権申請の可能性もありました。Childcareの資格は永住権の審査の際のスコアが高いそうです。

ですが、私は来た当初から「日本に帰りたい!」という気持ちが強かったので、迷わず日本に帰る事を選択しました。

 

–あっ、普通「残りたい!」と思う人が多いイメージなのですが、「帰りたい!」と思ったんですね。

 

はい、来た当初からずっと日本に帰りたいと思っていました(笑)。オーストラリアが嫌というわけではなく、「私は日本で生きたい」と思っていて。

オーストラリアに行く前に、友人から温かく送り出してもらった事や、海外で暮らしてみて親のありがたみを感じたりなどして、「あぁ、日本っていいなぁ」「私にはこんな大切な人たちがいたんだなぁ」と思うようになりまして。

 

■私はマネージャーの立場からみんなが楽しく働けるサポートをしていきたいです。

 

現在の三沢敦子さん

現在の三沢敦子さん

 

–では、帰国後はどのような仕事をされていたのですか?

 

帰国後、最初はベンチャー企業に入社しました。その後に、3年ほどして転職し、今は子育て支援(学童保育事業)のマネージメント業務を担当しています。

 

–幼児教育を学ばれたという事は、保育園で保育士さんとして働くのがスタンダードだと思うのですが、その道は検討しなかったのでしょうか?

 

はい、私は保育士として働こうとは思いませんでした。その理由は、オーストラリア留学中に気づいた自分の気持ちにあります。

私自身、子どもは好きなのですが、「現場でずっと子どもと関りたい!」という人にはかなわない、と感じて。もちろん、私も子どもは好きで今もずっと関わっているのですが「“子どもが好き”という事のその深さが違うなぁ。」と感じました。

ほら、子どもが好きな人って、本当に「24時間、子どもに何をされても楽しい」という感じの人が多いじゃないですか。私はそこまでではなくて。

 

–「子どもが好き」というのと「子どもがめちゃくちゃ好き!」の違いに近い感じでしょうか?

 

あっ、そう!そういう感じです!私は、「好き」「めちゃ好き」「めちゃくちゃ好き」に分けた時の「めちゃ好き」なんです。

 

–それでマネージメント業務の方に就こうと思われたのですね。

 

はい、留学中に、私は、目の前にいる子どもたちを日々育んでいくよりも、保育士やスタッフを束ねるマネージャーや管理業務、さらには、もっと俯瞰(ふかん)的な立場で、教育サービスの企画・提供し、日本の教育をより良くしていけるような仕事に携わりたいと思いました。

今、実際に、留学中に思い描いていた仕事に就き、最近では、省庁や自治体の方へ話をしたり、提案したりする機会も多くあります。

そして、あらためて、教育現場は、「子どもがめちゃくちゃ好き」な人が支えて成り立っていることを実感しています。だから、現場の人たちが、やりがいを感じてもらえるように、そして、彼らの想いをより子どもたちへ還元できるように、企画を考えたり、仕組み作りをしたりしています。

これからも、「めちゃ好きな子どもたち」がより幸せになるように、「子どもがめちゃくちゃ好きな人たち」が楽しく働けるような仕事に携わり続ければと思っています。

 

–お話を伺っていて、留学前に描いた夢や留学経験が今の敦子さんを作ってくれているのがすごく素敵だと感じました。敦子さん、ありがとうございました。これからの子どもが好きな人や子どもたちが輝けるようなお仕事をされる事を応援していますね!

 

 
 
榎本 晋作
28歳の時にワーキングホリデーでイギリスに。ロンドンでは留学エージェントの立ち上げを経験。在英中に立ち上げた自身のブログは日本ブログ村PV(アクセス)ランキング1位。帰国後『イギリス・ワーホリ留学ガイドブック』を電子書籍にて出版し、Amazon海外留学対策ランキング1位を獲得。高3時点での英語の偏差値は32。(今でも苦手です。)