「ガーナでの協力隊の活動が私を原点に戻してくれました。」(Shokolaさん_Vol.2)

収入向上活動の手作り石けんを使って、孤児院で手洗いワークショップを行った時の写真

収入向上活動の手作り石けんを使って、孤児院で手洗いワークショップを行った時の様子。

 

■開発の現場で知った人間関係や利害関係の衝突。途上国支援でも生きた日本での社会人経験!

 

–前回お話していただいた最初のホームステイと研修の期間が終わって、いよいよ本格的な活動という流れでしょうか?

 

はい、3ヶ月経って住居も用意され、引越をしてやっと任地に赴任です。

まずはベッドやキッチンなど生活を整えて、それから少しづつ活動に入って行く流れでした。でも、最初は配属先や村に慣れる事からスタートなので、実際に村落(森林保護区の周りの村)での活動に入れたのはガーナに来て半年くらいしてからでした。

 

–配属先というのは?

配属先の森林サービス局のBA州事務所。

配属先の森林サービス局のBA州事務所。shokolaさん右隣の立っている男性はチラ出身の政治家クミさん。任期終了後に訪ねたら亡くなっていて、「死が身近な途上国では、別れは突然訪れる」と肌で感じられたそうです。

 

現地の森林サービス局、つまり私が配属されたのはガーナのお役所なんです。そして、ガーナが指定する森林保護区の周りの村「テイン1森林保護区周辺村落」という所で活動するのが私の任務でした。

 

–配属当初はどのような事を?

配属先の森林サービス局のフィールドオフィサーのフランクさんと。彼の担当するンゼメレ森林自然保護区内の巡回に同行したときの写真。熱帯雨林とサバンナの間に位置する森林移行帯で、森林劣化が進んでいる。

配属先の森林サービス局のフィールドオフィサーのフランクさんと。

 

最初は、配属先のフィールドオフィサーと呼ばれるスタッフの後についていって勉強したりしました。後はホームステイの時から引き続き村のコミュニティに顔を出して、ひたすら関係作りに費やしました。

活動中の事なのですが、役所の方々も村民の人ともすごく仲良くなれてよかったのですが、実は「役所の仕事」と「村人の生活」がぶつかってしまう事もたまにあって。。。そういう利害関係の調整が大変だったりしたんですよ。

 

 

–どこの国に行っても利害関係や人間関係の調整って大変なんですね(汗)

村での会議。

村での会議中の様子。写真右上のカーキ色シャツで立っている男性が渉外担当の同僚で手前が村人。

 

そうなんですね、プロジェクトの背景については後ほどお話しますが、簡単に説明すると、森林保護区なので、役所側は「森林を保護する」のが大事なんですね。

一方、村人たちは「農業活動で自分の生活を守る」のが大事なんですよ。

なので、活動をしている時に、やはりお互いの利害がぶつかる事はどうしてもあって。。私は役所に配属されている人間ですが、役割として、役所と村人の間に入る調整役でした。

 

–まさに前回おっしゃっていた「開発の現場」の話ですね。

 

はい、まさに(笑)「(開発での現場では)仕事をするには色んな立場があるし、相性もあるし」というのが現地でよく理解できました。

このような事がある事が予想されていたかは定かではないのですが、私が応募する際に、募集要項の条件に「社会人経験3年」というのがあったんですね。現地では、まさにその経験が生きました。

 

–今だから明るく語ってくれてますが、当時は、結構大変じゃなかったですか?

はい、もう本当に大変でした。役所のボスと山火事について大喧嘩して泣いたこともあったくらい(笑)

ただ、私自身、役所の人も村人も両方ともすごい好きだったのですが、現地にいた時は村人の気持ちで活動していました。

 

–それは、やはり村人たちと仲が良かったから?

ホストシスターのジュリエットと

ホストシスターのジュリエットさんと

 

自分が村人のように活動していたのもありますが、やはり、森とともに暮らすのは彼らですので、森林保護は住民の暮らしを守る事や良くする事と一体であるべきだと思うんです。

 

–おぉ、やはり、開発の現場を知ってるからこその意見ですね。

はい、みんなすごくいい人なんですけど、やはり村人はまだまだ貧しくて。

私たちの活動は、基本的に「住民(村人)参加型で森林保護を行う。」という考えがあって、これからお話する植林活動や収入向上活動もその考えに沿っているんです。

 

■いよいよ、植林活動スタート!朝は4時起き!?隊員の1日はどんなスケジュール?

果樹隊員と植林NGOと協力して、活動終盤に苗床作り

果樹隊員と植林NGOと協力して苗床作りをしている様子。

 

–まず、植林活動について教えてほしいのですが、具体的にどのような活動をしていたのですか?

はい、私の役割は農業をする村人たちのサポートが主でした。具体的には一緒に畑にいったり、ミーティングをしたり、一緒に苗を作ったりでした。

先ほどお伝えした村人と役所の調整役も活動に入ります。「まぁまぁ、おだやかに。」という風に(笑)これって友達になれているかどうかがとても大きなポイントなんですよ。

 

–確かに!活動そのもの目標は何だったのでしょうか?

 

植林活動の大きな目的は「森林保護を住民参加型で行えるようにする事」です。村人たちに政府から森林保護区の境界線にある畑が割当てられて、オレンジ、マンゴーなどの果樹を植えて、育てて、それを売って収入を得ます。

彼らが定期的に畑に通うことで、森林保護区が違法伐採やワイルドファイヤー(野火)などから守られるという仕組みです。

 

–なるほど。Shokolaさんも農作業をしていたのですか?

 

ほんのちょっと。私は農業技術のある隊員ではなかったので、農作業は完全にサポートだけでした(笑)

実は、植林活動は私のメインの任務ではなく、現地で派遣された時に「これは、植林活動もやらなきゃなぁ。」という状況だったんですね。このような業務は通常、農業系の技術隊員(農業隊員)が行うので、1年経った時には彼らが来ました。

後、追加でお伝えすると、この植林活動も、元々は私が派遣される前にJICAとガーナ政府が行っていたもので、私たちが行ったのは、それを発展させるためのフォローアップ業務でした。

 

–なるほど。植林活動がメイン任務ではなかったんですね。

 

そうなんです、実は(笑)

でも、少しでも農業をした事で、「農業がどんなに大変か」を身をもって知ることができたのは隊員として活動する上で、とても大切な事でした。

「村人たちがどれほどの距離を歩いて畑に行っているか?」「畑では何を植えて収穫にはどれくらいかかるのか?」を知っていると知らないでは、全然違うので!

–ちなみに農作業って、もしかして。。クワとかでやったんですか?

農作業中の村民。「カットラス」と呼ばれる農具で、草刈りをしたり土を耕したり、ヤシの実を切ったりする。

農作業中の村民。「カットラス」と呼ばれる農具で、草刈りをしたり土を耕したり、ヤシの実を切ったりする。

 

いえ、日本の用具ではなく現地の用具を使ってやっていました。

事前にトレーニングを受けていたわけではないので、現地で覚えた感じです。何度も言いますが、農作業はサポート程度でしたが(笑)

 

–1日のタイムスケジュールはどのようなものでしたか?

現地で作った健康カード

クワティレ村のボアテンさんと、健康保険カードを作った時の様子。アフリカ大陸で、国民健康保険がある国は珍しいそうです。

 

まず、だいたい朝4:00に鶏がなき、近所のおばちゃんが掃き掃除を始める頃に目を覚ましてました。

その後、朝8時から村の巡回です。早い時には7時から植林するおっちゃん達と一緒に畑に行き、午後はオフィスに行ってミーティングや活動報告をします。

逆に午後に村や学校に行く時は、午前にオフィスに顔を出してから行きました。

 

–さすが、農業!朝めちゃ早いですね。

はい、ガーナは赤道付近なので日が昇るととても暑いんです。だから、みんな朝一で活動をするんですよ。

 

 

–ちなみにオフィスでミーティングや報告は何語で何人にしていたんですか?

スンヤニ市街

配属先の事務所があるBA州の州都スンヤニ

 

報告はガーナ人に英語でした。オフィスでは基本的に英語です。週1回か2回くらいオフィスでの報告やミーティングをし、その他の日は担当していた村の巡回をしていました。

 

–担当の村はいくつあったのですか?

村の数自体は最初1個だったのですが、最終的には担当していた森林保護区の周辺の5つの担当になりました。

 

–なるほど、役所と現場のローテーションみたいな感じだったんですね。ちなみに、朝8時からの活動の後はどのようなスケジュールだったのですか?

違法伐採

違法業者が切り出した木材を運搬している瞬間に遭遇した時の様子。このような場面を目の当たりにし、森林資源の管理は難しいことを実感されたそうです。

 

朝から畑に行くとお昼には休憩になります。ガーナは日が高い11〜13時は外で作業が出来ないんですよ。なので、みんな一時的に畑の木陰に入って休むか、家に帰って午後から活動再開します。

私は、お昼を挟んで、午後にオフィスに行ったりしていました。逆に午後に村にいく時は、午前中にオフィスに行きます。

 

 

–どのくらい暑かったですか?

森林サービス局スンヤニ事務所の屋外で。

森林サービス局スンヤニ事務所の屋外で。

 

35度は余裕で超えていて、40度を超える所もあったくらいでした。お昼の休憩が終わり畑に15〜17時で戻ってきて、また作業して一日が終わります。オフィスに行く時とかもあったのですが、森林サービス局の職員は公務員なので17時にはオフィスは閉まってました。

 

–その日に5つの村のどこに行くかとか何をするかは自分で決められたのですか?

はい、私のような村落開発普及員はJICA現地事務所のボランティア調整員と相談しながら、活動のペースは自分で決められました。

これが先生とかだと学校の授業のコマとかが決まっているので難しいと思うのですが。ただ、先生の場合は学校の休みとかもあるので、夏休みに旅行とかしたりしましたよ。

 

–村落開発普及員は、まとまった休みはありましたか?

はい、ありましたよ。マリとかブルキナファソなどの周辺諸国に旅行に行く隊員もいました。私は村が好きだったので基本的にずっと他の行かなかったのですが(笑)

私と一緒に住んでいた隊員のなおみちゃんは、国境を越えてJICAの研修にも行っていました。

 

–JICAの研修があるんですか?

はい、広域研修って言うんですけど、周辺諸国で隊員が集まって行われる研修があるんです。

 

–でも、Shokolaさんは村にいたんですね。

はい、出勤時間も昼休みも自由だし、土日も自由だったので、基本的にガーナを出ずに村にいて、めっちゃ村人と話して現地語ができるようになりました(笑)。

任期中全体の流れで行くと、2年間の任期のうち、一年目は比較的ゆったりとしたペースで関係作りをしたり、村生活を楽しんで、2年目から活動が忙しくなった感じでした。

 

–なるほど、仕事終わりで何かおもしろい事はありましたか?

土日休みや仕事終わりで村に行くと、村の人たちの家に行ってご馳走してくれたりして、それがすごく楽しかったです!

 

–食事ってどんな物を食べていたのですか?

ガーナの伝統食フフ

ガーナの伝統食フフ。

 

色々とあったんですけど、芋をふかしたものとかつぶしたものがメインでした。

それにつけ合わせるのが、トマトやたまねぎ、そこに唐辛子を煮込んだスープ、高級なのになるとそこに肉が入ります。それがメインデッシュでしたね。

それに同僚や村人と一緒に現地のお酒を飲んだりもしてました。村で食べる以外は自炊で、一緒に住んでいた隊員のなおみちゃんとあっさりとした和食とかも作っていましたよ。

 

フフを作っている様子(ふかしたキャッサバという芋の一種と、食用バナナを杵と臼のようなものでついてつくる)

フフを作っている様子。ふかしたキャッサバと、食用バナナをついて作るそうです。

 

–あっ、日本食材も手に入るんですね!

米は手に入るのと、味噌とか醤油は、首都のアクラまで行けば当時は中国や韓国製のものが買えました。後は、日本から送ってもらえたり、前にいた隊員が残していてくれたり、日本に一時帰国した人が持ってきてくれたりとかもありました。

 

–なるほど〜。次は石けんプロジェクトと環境教育について聞かせてください!

 

→【次ページ3/3】村の女性の自立支援!そして、学校で子どもの教育にも携わる

 

 
 
榎本 晋作
28歳の時にワーキングホリデーでイギリスに。ロンドンでは留学エージェントの立ち上げを経験。在英中に立ち上げた自身のブログは日本ブログ村PV(アクセス)ランキング1位。帰国後『イギリス・ワーホリ留学ガイドブック』を電子書籍にて出版し、Amazon海外留学対策ランキング1位を獲得。高3時点での英語の偏差値は32。(今でも苦手です。)