オーストラリア(シドニー)の専門学校で幼児教育を学ぶ留学体験(三沢敦子さん)

三沢敦子さん

 

 

■今回、取材させていただいた留学PERSON

留学体験談インタビューマガジン『留学Person』。

今回インタビューさせていただいたのは、オーストラリア(シドニー)の専門学校「MEGT」で2年間留学され、Early Childhood Education and Care(幼児教育)のAdvanced Diploma(日本で言う保育士の免許)を取得された三沢敦子(みさわあつこ)さん(以下、敦子さん)です。

 

敦子さんは大学を卒業後、新卒で、旅行会社の企画や添乗員として3年間働かれ、オーストラリア留学後に、現在、学童保育業のマネージメントを担当されています。

 

今回は、大学時代から「子どもに関わる仕事で働きたい!」と思っていた敦子さんのオーストラリアに幼児教育を学びに行く事になったきっかけ、そして英語ができないで専門学校に入学して苦難を乗り越えたストーリーをご紹介します。

 

■「今だったら自分の選択肢を増やせる!」と思ったので、留学をしようと思いました。

世界三大美港がいつも身近なシドニーの街

世界三大美港がいつも身近なシドニーの街

 

–敦子さん、本日はよろしくお願いします。

よろしくお願いします。

 

–まず、始めに敦子さんがどのような留学をされていたかを教えていただけますか?

はい、オーストラリアのシドニーにある「MEGT」という学校で、Early Childhood Education and CareのAdvanced Diplomaという資格を取りました。これは日本で言うと「保育士の免許」を取った事になります

 

–期間はどのくらい行かれていたのですか?

2年です。本当は3年のコースだったのですが、2年に短縮する事ができたので、2年間のコースを取りました。

 

–ちなみに、留学に行かれた時期は?

はい、新卒で入った会社を3年で辞めた後に思い切って留学する事にしました。つまり、社会人留学で25歳の頃です。

 

–社会人留学というと今後の人生で色々と不安な事もあったと思うのですが、それでも留学をしようと思われた理由はなんだったのでしょうか?

留学をしようと思ったのは、もともと「子ども」というキーワードが私の中にあったのが大きいです。それまでは旅行会社に勤めていたのですが、それも「子どものための旅行を作りたい」というのが一番大きな理由でした。

仕事はすごく好きで今でも天職だと思っていたのですが、当時はSARSや新型インフルなど、観光業界自体が厳しい年の連続。「子どもを海外に連れて行く」という事自体がなかなか難しい状況で、企画も通りにくかったんです。

そんな時に「まだ20代の今だったら、自分の選択肢を増やせる」と思ったので、幼児教育を学ぼうと思いました。私自身、卒業したのが法学部で、それまで、そのような勉強をした事がなかったので、そういうのをしっかりとやってみたいと思ったんです。

 

–なるほど、幼児教育というと留学先の候補は複数あったと思うのですが、オーストラリアに決められた理由はなんだったのでしょうか?

 

理由は、色々ありますが、まず、日本の短大に入り直すのは、年齢的に抵抗があり、かえって選択肢が狭まりそうだと思いました。

幼児教育の先進国といえば、イギリスなのですが、仕事で何回かイギリスに行った時に、100%曇りか雨だったので、天気が好きになれなくて。

イギリス圏のオーストラリア、ニュージーランド、カナダの中で、気候が一番私にあったのと、シドニーは学校数も多いと聞いていたので、オーストラリアに決めました。

自分の可能性を広げる意味で「海外で生活してみたい」という気持ちを含めて「一度外に出てみたい」と思っていたことも決心を後押ししました。

 

→【次ページ】現地での学校選び、そしてオーストラリアで学んだ日本との教育の違い

 

 
 
榎本 晋作
28歳の時にワーキングホリデーでイギリスに。ロンドンでは留学エージェントの立ち上げを経験。在英中に立ち上げた自身のブログは日本ブログ村PV(アクセス)ランキング1位。帰国後『イギリス・ワーホリ留学ガイドブック』を電子書籍にて出版し、Amazon海外留学対策ランキング1位を獲得。高3時点での英語の偏差値は32。(今でも苦手です。)