アデレード留学がきっかけで自分の事が好きになれました。(越智絵理奈さん)

大学2年生の時に4ヶ月、オーストリアのアデレードに語学留学していた越智絵理奈さん大学2年生の時に4ヶ月、オーストラリアのアデレードに語学留学していた越智絵理奈さん

 

■今回、取材させていただいた留学Person

 

海外留学体験談インタビューマガジン留学Person。

今回インタビューさせていただいたのは、大学2年生の時に4ヶ月間、オーストラリアのアデレードに語学留学されていた越智絵理奈さん(おちえりな、以下、絵理奈さん)です。

高校生の時のあるきっかけから「いつかは留学してみたい!」と思っていた絵理奈さん。

ですが、留学を決意した時は英語力も入国審査であたふたしてしまうようなレベル。初めての海外生活が不安でしょうがなく、出発前には関西国際空港で泣き出してしまうような状態だったそうです。

そんな絵理奈さんですが、このアデレード留学がきっかけで、人生が大きく転換!大学卒業前には再度留学をし、2年前までは、フロリダのディズニーワールドで働かれていました。

「留学前は今の自分とは全然ちがった」という絵理奈さん。人生を大きく変化させてくれたのはアデレードでのある出来事だったそうです。

「留学すると、人はどう変わるのか?」

今回は、絵理奈さんの「留学をきっかけとした成長ストーリー」を詳しく伺ってきました!

 

心配じゃない事なんて1つもなかったです!

頑固な発音を、何度も粘り強く直してくれた先生絵理奈さんの発音を、何度も粘り強く直してくれた先生。

 

–絵理奈さん、本日はよろしくお願いします!

はい、よろしくお願いします!

 

–まず、絵理奈さんの留学経験について教えてください。

はい、大学2年生の9月から12月までの4ヶ月間、オーストラリアのアデレードに留学していました。

 

–これは語学留学ですか??

クラスメイトと。すごく親切でおにぃさん的な存在だったそうです。クラスメイトと。すごく親切でおにぃさん的な存在だったそうです。

 

はい、語学留学です。

一応、形としては、私の通っていた大学に用意されていた留学プログラムなのですが、留学費用は私費ですし、通っていたのも現地の大学に付属されている語学学校ですので。

 

–住んでいたのは寮?それとも、ホームステイ?

ホストマザーと。ホームステイ先のホストマザーと。

 

現地では、ホームステイでした。

私がステイしたのは、カイリーという50代くらいのお母さんが住んでいる家です。たまに彼氏が来る事はあったのですが、基本的には私とカイリーとの2人暮らしでした。

 

–オーストラリアの中でもアデレードはあまり聞かない留学先なのですが、選ばれたのには何か理由があったのですか?

特に「アデレードに留学したいです!」というのはなかったのですが、一番の理由は値段でした。

他にもイギリスとアメリカもあったのですが、やはり値段がオーストラリアよりも高くて。

 

–やはり、留学だと費用の問題は大きい所ですよね。ちなみに、なぜ留学をしようと?

大学に入る前に「いつか留学したい」と思っていたんですけど、そう思ったきっかけは高校時代でした。

当時、受け入れ側としてホストファミリーをした事があって、韓国人の留学生を我が家に向かい入れたんですね。

その時に、高校生なりに「国際的に関わる事ってこんなに楽しいんだ!」と気づいて、「今度は、私もどこかの国に行きたいなぁ」と感じまして。

 

–インターナショナルな出会いがきっかけだったのですね!留学前の段階で海外に行かれた事はありました?

それまでに、修学旅行で韓国、そして、家族旅行でグアムに行った事はありました。ただ、どれも短期でしたので、長期で海外に行くのはこの時が初めてでした。

もちろん、海外で暮らすのも、外国で英語を使う事自体もほぼ初めての状態です。

 

–そんな状態で、不安ではありませんでしたか?

アデレードの図書館アデレードの図書館。

 

めっちゃ不安でした!心配じゃない事なんて1つもなかったです。。

 

–えっ、そんなに。。。

はい、私、今でもそうなのですが、本当に心配症なんです(汗)。飛行機も1人で乗った事はなかったですし、1人で留学するのが怖くて。。

そんな理由で「1人で行く留学」ではなく、学校の集団でいく留学を選んだくらいでした。結局、色々あってビザが出るのがみんなより遅れたので、1人で飛行機に乗る事になっちゃったんですけど(汗)。

 

–そういえば、旅行ですと、1人で飛行機乗る機会ってあまりないかもしれませんね。。特に何が心配でしたか?

特に何かという事ではないんですけど、「海外で暮らす事全て」が想像がつかなくて不安でした。

「私、オーストラリアに行くけど、そこでどうすればいいの?」という感じです。

親元も離れた事がなかったので、出発前は急に寂しくなって空港で泣いてしまったくらいでした。

 

■英語は好きだけど、パッションが切れると。。

アデレードの中心地、ランドルモールアデレードの中心地、ランドルモール。

 

–確かに、何もわからない状態だと、具体的に何が心配かも想像できないかもしれませんね。。

はい。当時は、今みたいに色々と情報が手に入るわけでもありませんでしたし。もちろん、海外の友達もいなかったのでほんとに真っ白な状態でした。

 

–留学前の英語力はいかがでしたか?

シドニー旅行で行ったオペラハウス。シドニー旅行で行ったオペラハウス。

 

英語自体は好きなのですが、当時はとてもじゃないですけど、「私、英語できます。」なんて言えるレベルではありませんでした。

空港のイミグレーション(入国審査審査)で、おじさんの言っている事がわからなくて、3回くらい聞き直してしまうようなレベルです。

 

–なるほど。でも英語は好きだったのですね。

はい、大学で英語の授業があって、その時の先生がネイティブだったんですけど、その人と話すのが好きで、いつも「パッション」でしゃべっていました!

 

–パッション??

はい、「身振り手振りなどを交えて、必死に伝えていた」という事です(汗)。

英語も正しく聞き取れないですし、私の使っている単語や文法もめちゃくちゃだったのですが、外国人の人としゃべる事は好きでした。

なので「話したい」という情熱(パッション)で会話していました(笑)。

 

–なるほど、気持ちで会話していた感じですかね?

はい。ですので、「パッションが切れてしまうと会話が成立しないかも。。」というのも留学前は心配ではありました。。

 

–言われてみると、英語で会話するのって体力使いますしね(汗)

 

→【次ページ2/3】オーストラリアンイングリッシュに大苦戦!絵理奈さんが取った作戦とは?

 

 
 
榎本 晋作
28歳の時にワーキングホリデーでイギリスに。ロンドンでは留学エージェントの立ち上げを経験。在英中に立ち上げた自身のブログは日本ブログ村PV(アクセス)ランキング1位。帰国後『イギリス・ワーホリ留学ガイドブック』を電子書籍にて出版し、Amazon海外留学対策ランキング1位を獲得。高3時点での英語の偏差値は32。(今でも苦手です。)