美容師として過ごしたオーストラリアワーホリ生活!(佐野隼人さん)
|環境を変えて英語力が上昇!外国人たちとの自然にコミュニケーションが取れるように
■友だちとして、仲間として一緒に住んだおかげで、コミュニケーションが取れるように。
–では、語学学校やホームステイ以降の事を聞かせてください。課題だった英語力はこの後、どうなったのですか?
はい、英語力に関して言うと、オーストラリアに来て、8ヶ月くらい経った頃には「お前はまだオーストラリアに来て1年も経っていないのに、そんなに英語がしゃべれるのか!?」と初めて会う外人に言われるくらいになりました。
–えっ!なぜそんな急に!何か伸びた要因はあったのでしょうか?
シェアメイトたちと
やはり、生活環境を英語にした事が大きかったと思います。やはり、英語もできないし積極性もない状況に「このままではダメだ!」と感じて、自分の中で意識を変えました。
シェアハウスを英語環境、仕事もお客さんが外国人などの状況にして、だんだん英語力を上げていきました。
–そうですよね、ワーホリは仕事もできるんですもんね。では、シェアハウスの事を聞かせていただき、その後にお仕事の話をお願いします。ホームステイの後は、どのようなシェアハウスに住まれていたのでしょうか?
はい、ホームステイの後は、日本人夫婦の家の一部屋を借りて、その後に色んな国籍の人が住んでいるシェアハウスに引っ越しました。
–どのような国籍の人がいました?
そこは日本人もいたのですが、韓国人、イタリア人、フランス人、ブラジル人とか色んな国籍の人が入れ替わりで住んでました。なので、メインは英語です。
–外国人と住んで、こんなところが変わってたとかありますか?
友人たちとバーで
小さいことを気にしなくなりました。彼らは、「食べたものを置きっぱなしで、片付けたりしない」など共有スペースでやりたい放題だったので、最初はイライラしていたのですが、だんだん「別に気になれば俺が片つければいいし、放っておけばいいし」という風に考えられるようになって。
ここでの生活を通して、英語を話すことに対しての度胸がついたというか、怖がらなくなりました。友達として仲間として一緒に住むから、コミュニケーション間違ったって笑うわけでもないし、「それ、違うよ」って言われるわけでもないですし。みんなお互いに理解し合ってくれるし、優しく教えてしてくれたりしました。
そのおかげで「まずとりあえず話そう」と言う気持ちになれました。
–急激な英語力の伸びは、気の許せる友だちと長く過ごしたおかげだったんですね!
■アシスタントからスタートし、トップスタイリストに昇進!外国人との接客で英語力も格段にアップ!
シドニーで働いていた美容室
–次にお仕事の事を教えてください。オーストラリアでも美容師として働かれたんですよね?
はい、1年で3店くらいの美容室で働きました。
–仕事はどのようにして探されたのですか?
現地の日本人向けの就職サイトを使って探しました。 語学学校で履歴書を英語で作ったのですが、それはあまり見られずに採用された感じです。
–お客さんやスタッフは外国人でしたか?
最初のお店は、スタッフは中国人がいたのですが基本的には日本人でした。お客さんは半々で、日本人の他、オーストラリア人とか色々な人種の人たちでした。
–サラッとお話されてますけど、外国人の接客は大丈夫でしたか?(まだ、この頃は語学学校卒業したてで、英語に苦戦してた時代では?)
一緒に働いていたスタッフたち
もちろん、最初は大変でした。ただ、基本的には僕が外国人のお客さんを接客する時は、オーナーのヘルプや通訳付きだったりしたので、そこまで問題になりませんでした。
日本人のお客さんメインで入って、その他、サブ的にオーストラリア人じゃない外国人、第一言語が英語ではない人とかを担当していました。
–という事はお店でのポジションはアシスタントだったのですか?
はい、そうです。仕事内容は、「床を掃いたり、洗い物したり、シャンプーしたり」とかがメインで、カットはほとんどさせてもらえませんでした。なので、そのお店は結果的に2週間で離れる事にしました。
–日本時代はスタイリストだったんですよね?いきなりアシスタントをする事に抵抗はありませんでしたか?
日本でも店長までやっていたので、正直「マジか。。(アシスタントかぁ。)」というのは、あったのですが、海外ですし、生きて行くためにはと思って。
場所によりますけど、今までのことが通用しないこともあるんだなと痛感しました。
–その後は、どのようなお店に勤められてのですか?
2個目は日系の大きな美容室でした。1ヶ月は契約上アシスタントでしたが、翌月以降スタイリストになってカットをさせてもらえるようになりました。
自分の中ですごくよかったのが、3店舗目で、オーナーは中国系のオーストラリア人。スタッフは、中国人メインでオーストラリア人も働いているお店でした。ここは、みんな向こうで生まれ育った人ばかりでしたので英語ペラペラで。
–つまり、英語環境?
店内の様子
はい、スタッフとのコミュニケーションは全部英語でした。そしてお客さんも英語でしたので、自分でも驚くほど英語力が伸びました。
先ほどお話した「お前はまだオーストラリアに来て1年も経っていないのに、そんなに英語がしゃべれるのか!?」とお客さんに言われたのは、このお店での事です。
–シェアハウスや仕事場も英語環境になり英語力が格段に上がったんですね!労働環境はいかがでしたか?
はい、英語力が伸びた事に加え、3店舗目ではトップスタイリストになれたのですごくよかったです。お客さんからの指名などで歩合もあり、給料もわりかし良くてがんばって働いたので旅行に行く貯金もできました。
■ストレスフリーな環境、そして日本では出会えない人に出会えました。オーストラリアに行って本当によかったです。
友人とツーリング
–では、最後にワーホリ生活を振り返ってみての感想を教えてください。一言で、行って良かったって思います?
はい、行って良かったです!
–どういうところが行って良かったと思います?
オーストラリアでできた友だち達と
一言で言うと「日本では経験できない事を経験できた事」だと思います。街での環境や、食べるものなどもそうですが、日本にいたら絶対に出会えなかった人たちと出会えた事が印象的です。
世界中に友達が出来ましたし、あとは日本人でも、海外だからこそ出会えた人とかもいて。そういう出会いがすごくよくて、その後考え方もすごく変わりました。
こういう体験が好きで、この後にオーストラリアにまた行き、また韓国にも行っちゃいました!
-どんな風に変わりました?
おおまかに言うと、小さい事を気にしなくなった感じです。
外人さんってそうじゃないですか。あまり細かいこと気にしないっていうか「大丈夫!大丈夫!」って「なんとかなるよ」みたいな感じで。オーストラリアでの生活のおかげで、僕もそういう考え方ができるようになりました。
こういう生活は非常にストレスレスな感じで解放的でした。今はだんだん日本人思考に戻っちゃってて、ちょっと嫌なんですけどね(笑)
-最初の3ヶ月の残念な感じから、だいぶ上がって行きましたね!
はい、上がりましたね(笑)!だから結果的には本当良かったし、オーストラリアは本当、自分の中では本当に第二の故郷という感じで!老後とかにまた行きたいです!
-佐野さんの現地での苦闘や葛藤からはい上がっていったお話、本当にすごかったです!この体験を今後の人生、さらに飛躍していってくださいね!