就活は青年海外協力隊!?日本人教師がブータンで体育を作ったストーリー!(太田幸輔さん)

体育フェスで行なったプレゼンテーション友人たちと開催した「体育フェスタ」で行なったプレゼンテーション中の様子。

 

■理解を示してくれるようになった先生たち。その理由は?

 

ちなみに、その後に先生の態度は変わったのですか?

はい、2年目からは他の先生も理解をしてくれるようになりました。体育前の授業も5分前に終わらせてくれたりして。

 

–おぉ、大きな変化ですね!やはり時間が経つと自然と理解されるのですね。

いや、実はそうでもなくて。。これには別の理由があるんです。

 

–別の理由と言うと?

 

実は、2年目から体育も他の科目同様に「成績がつく科目」になったんです。

それまでは、他の科目とは違い、成績はつかなかったので、生徒たちも体育ができなくても落第しないですし、他の先生たちからも認められてこなくて。

でも、成績のつく科目であれば、子どもたちも成績が悪いと落第してしまうので、めっちゃ真剣に体育に取り組んでくれるようになりました(笑)。

 

–なぜいきなり成績がつくように?

 

体育フェスののぼり体育フェスタののぼり。

 

きっかけは、他の学校の体育教師と協力して開催した「体育フェスタ」でした。

その時、務めていた学校の校長先生が教育省の人を呼んでくれて、プレゼンをさせてもらう機会をいただけたんです。

そこで、「体育は重要なので、科目に入れてください!」って、ずーっとアピールしました。

 

–校長先生めっちゃ優しいですね!

はい、本当にすごく理解のある素敵な方でした。

「さすがにこのままじゃまずいな。。」と思ってた時に相談に行ったら、その時に「俺はお前のやってることは正しいと思うから負けるな!」と言ってくれて。

偶然、この校長先生がブータンの教育省の事務次官をやっていたのもあって、このような機会をいただく事ができたんです。

 

–教育省の人とつながってるなんて、すごいですね!

いや、実はブータンでは「教育省の人」と言っても、そんなに遠い存在ではなかったりするんです。

例えば、友達としゃべっていて「俺の従兄弟のお姉さんの旦那が教育省の人だよ。」という感じで、知り合いからすぐにつなげてくれたりする事もあるんですよ。

 

–人のつながりが近いのですね。

11時頃に集まってくるお母さんたち。AM11時頃に集まってくるお母さんたち。ブータンの学校では、お母さんがお弁当を持ってきて、子どもと一緒に食べる習慣があり、その様子はまるでピクニックのようだったそうです。

 

はい、ブータンはみんな、兄弟や親戚も多いので、日本より全然簡単だと感じます。

僕が大きな影響を受けた先輩の日本人がいるのですが、その人も友達がテレビ局の人だったりとか、そういう世界でした。

 

–なるほど、「友達の友達が教育省」ってレベル感ですかね(笑)。でも、プレゼンを聞いた後に、すぐに科目になるスピード感すごいですね!

はい、「トップに言われたことは絶対」のような所があるので。

これは、ブータンに限らず、他のアジアの国でも似ているのですが、住んでみると本当にそう感じました。

なので、「学校に働きかけるのは、順番が違うわ。」と思って、これが当たった形です。

 

–なるほど。ちなみにプレゼンはゾンカ語で?

アニュアルコンサートの写真毎年恒例のダンス発表会の1コマ。

プレゼンは基本的に英語でした。ブータンは上のレベルになればなるほど、英語を使いますので。

ですけど、時折ゾンカ語も使いながら「僕たちゾンカ好きなんです!」という感じで必死にアピールしました。

 

–英語ではなくゾンカ語を学んだのが功を奏しましたね!

はい、それはあるかもしれません。あの頃は、本当にブータン人になってました(笑)。

首都で偶然知り合いになったBBS(ブータンのテレビ局)の人に、さきほどお話しした先輩と「ブータン人になった日本人」としてテレビに出たりもしましたし(笑)。

 

–やはり、協力隊で活動するのに「現地人になる」というのは大切だと思いますか?

断言できるわけではないのですが、僕はすごく重要だと思いました。

同じ生活をして、同じ言葉をしゃべり、同じ料理を食べる事で見えてくるものっていっぱいありましたし。

 

 

■ブータンが教えてくれた事「とにかく今を生きる、情熱的に。」

帰国後、迎えてくれた仲間たち任期終了後に、成田空港まで迎えに来てくれた友人たち。

 

–なんと表現していいか迷いますが、青年海外協力隊の枠を超えてしまったお話すごく刺激的でした!今から思うとブータンでの生活はいかがでしたか?

確かに、活動として色々な事をさせていただきましたが、ブータンでの生活自体は、決して順風満帆というわけではありませんでした。

 

–というと?

赴任地の様子「チェチュ」という年に一度の大きなお祭り。あまりの人の多さに「こんなに現地の人がいたの!?」と思ってしまわれたそうです。

 

まず、僕の赴任地がブータンの中でも、相当過酷な環境でして

山なので、天気がものすごい事になっていて。。アラレがめっちゃ降る上に、雨季は太陽が顔を出さないような地域でした。

 

–なんと。。。

はい、その上、水も電気もないですし、カビもすごいし、キノコも生えますし。。。

ヒル(血を吸う虫)もいて、結構危なかったです(汗)。

 

–やはり、ブータンは過酷なんですね。

すいません、正確に言うと「ブータンが過酷」なのではなく「僕の赴任地が過酷」だったのだと思います。

基本的にブータンは標高高いからきついですけど、暖かいですし、電気、水、水道もありますし。

 

–なるほど。でも、その赴任地も含めブータンがすごく好きなのですよね?

大粒のひょう大粒のひょう。

 

はい、大好きです。

 

–どのような所が好きですか?

やはり、僕は人が好きなので「人の価値観」というかそういうものがすごくよかったです。

ブータン人と言っても、色々な人がいるので簡単にはまとめられないと思うんですけど、みんなすごく「今を生きている」というのを感じました。

過去とか未来とかに全然執着していなかったですし、生き物や物をすごく大切にしていて。それはきっと、宗教と大自然の力が大きいんだと思います。

 

–特に赴任地の方は、過酷な環境で生活しているからなおさらかもですね。

任期終了後に、ブータンを訪れた時に生徒たちと任期終了後に、ブータンを訪れた時に生徒たちと。

 

はい、彼らは、恵まれた環境にいるわけではないのですが、「お湯が出る、電気がつく」のような日本では当たり前の事にも感謝していて。

そういう中にいると、自然と自分も価値観が変わってきました。

「やっぱり日本人に生まれて、可能性や選択肢がすごいある中で、勝手に躊躇(ちゅうちょ)してるのは、すごいもったいないなぁ。」

って。

帰国してからも人生の捉え方がすごく変わりました。「とにかく今を生きる、情熱的に。」って。

あれから、数年経ち、今はタイで体育教師をやっていますが、これからも、もっともっと幅広く「教育」というキーワードで情熱的に生きていきたいと思っています。

 

–おぉ、すごい発言そのものが情熱的ですね!でも、圧倒的に違う環境の中で2年間過ごせて、新しい自分に出会えるのが協力隊のいい所なのかもしれませんね。太田さん、本日はありがとうございました!これからのご活躍期待してますね!

 

 

 
 
榎本 晋作
28歳の時にワーキングホリデーでイギリスに。ロンドンでは留学エージェントの立ち上げを経験。在英中に立ち上げた自身のブログは日本ブログ村PV(アクセス)ランキング1位。帰国後『イギリス・ワーホリ留学ガイドブック』を電子書籍にて出版し、Amazon海外留学対策ランキング1位を獲得。高3時点での英語の偏差値は32。(今でも苦手です。)