「初めての一人旅で経験した衝撃から学生時代のワーホリ、ワークキャンプ…社会人生活を経て青年海外協力隊へ」(炭しおりさん)

■現地スタッフと自分の実現したいことの相違に悩んだケニア生活。

オフィスで仕事中。

 

青年海外協力隊ではどこに派遣されたのですか?

ケニアです。ナイバシャといって首都のナイロビから車で1時間半くらいのところにある地方都市で活動していました。

 

アフリカで一人暮らし、、、家は大丈夫でしたか?怖くなかったですか?

隣に信頼できるおばさんが住んでいましたし、セキュリティ面もしっかりしていたので大丈夫でした。隣のおばさんがよくごはんに招いてくれましたし、基本的に私は家で自炊していたので、時々ご近所さんに日本食を振るまったりもしていました。

仲良くしてくれたご近所さんと。

仲良くしてくれたご近所さんと。

 

自炊、、、スーパーとかあるのですか?

スーパーは家から歩いて30分のところにありました。また、じゃがいもやトマトなどケニア人が日常的に食べる野菜であれば、スーパーまで行かなくとも路上脇や近所のキオスク等、家の近くで買うことができたので、不便を感じたことはありませんでした。

 

慣れるものなのですね。現地での活動内容を教えてください。

住民の社会開発を担う政府系機関の事務所が各地域にあって、その中のナイバシャ事務所に配属されました。活動は二本柱で取り組みました。一つ目は「行政サービスの提供とオフィスの業務の効率化支援」、二つ目は「収入向上と生活改善」でした。

派遣先のナイバシャオフィス。

派遣先のナイバシャオフィス。

 

すごく時間がかかりそうな地道な作業をされていたのですね。青年海外協力隊といえば課外活動が多いイメージですが、オフィスで作業が多かったのですか?

はい、私はせっかくケニアに来たのだからフィールドに出たかったですが、現地の事務所のスタッフにはオフィスにいることを求められ、その狭間でずっと葛藤していました。

 

現地の方と一緒に仕事をするのですね。仕事はスムーズに進めることができましたか?

問題だらけでした。ケニアは「ポレポレ(ゆっくり)」の文化があるので遅刻は当たり前、タイムリーに作業ができなかったり、私がオフィスにいるのをよいことに、同僚がサボって外に遊びに行ったまま戻ってこなかったり、最初から日本とのギャップに戸惑いました。資料も未整理のまま床に山積みに置いてあって。

 

2年間もいたら色んなことがあると思いますが特に困ったことや苦労したことは何でしたか?

人間関係ですね。現地スタッフ同士の仲があまり良好ではなかったのでよく間挟まれていました。妬み・ひがみの強い人も多く、陰で虚実や悪口を言われていたり、悔しい思いを何度もしました。

 

スタッフのうちの一人は「あなたが来てくれてから仕事がすごく楽しいわ」と言ってくれてとても嬉しかったです。その反面、私はせっかくケニアに来たんだからフィールドに出たいというジレンマがありましたね。

 

■人間関係で悩んだ日々。 

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どうやって解消したのですか?

そうですね~、ボランティアだから望まれていることをやるのがいいと思ていたのですが、上記の想いを素直・正直に現地スタッフに伝え、オフィス業務とフィールドワークのバランスをとるようにしました。ホウレンソウを意識し、密に話し合うことで最終的にはみんなHappyで終わることができましたね。

 

話し合いは大事ですよね。オフィスで仕事をするだけでなく、しおりさんがやりたかったフィールドに出ての活動もするようになったのですか?

はい、住民の衛生環境改善と収入向上につながるように、石鹸づくりから始めました。

ワークショップを開催。

ワークショップを開催。メモをとる女性たち。

 

具体的にはどのようなフィールドワークをされたのですか?

石鹸ややバイオマスチャコール、改良かまどのワークショップを開催しました。帳簿の付け方や販路開拓のお手伝いもしました。また石鹸の販売が衛生環境改善に直結するわけではないことに気づいてからは、子ども向けに「手洗い」の啓発活動を行いました。そうそう、手洗いの歌もつくりました!

 

歌ですか!音楽で覚えてもらえたらいいですね!楽しそう!

そうなんです!みんなが知っている歌にスワヒリ語で歌詞をつけたら子どもだけでなくおばあさんやおじいさんにも、齢関係なく歌は覚えてもらえてよかったです。

ケニア人なら誰でも知っている歌に歌詞をつけて披露。

ケニア人なら誰でも知っている歌に歌詞をつけて披露。

 

でも、現地に根付いていない習慣を広めるとなると大変そうですね。

そうですね。あとこれも文化の違いですが、ワークショップや研修に参加すると日当が支給される習慣があるのです。その文化が当たり前で最初は戸惑いました。ボランティアなので、毎回参加者全員に渡せるお金は当然ないし、お金がもらえないと分かるとワークショップに来てくれないし、困りましたね。

 

■うまくいかないことが多くて悩む日も。私の活動って本当にケニアの人達の役に立っているのだろうか?

パッケージが大事。

 

ハプニングだらけですね。

石鹸づくりに関しては、本当にこの活動って意味あるの?と悶々としていて…悶々としているくらいなら調査してみようと思ってワークショップ参加者に電話で後追い調査をしてみました。

 

実際に石鹸を使っているかの調査ですね?どうでしたか?みんなしおりさんのワークショップを聞いて石鹸を使っていたのですか?

全員ではないけど、収入向上につなげられている人たちが実際に存在するということがわかりました。あと、成功者たちにヒアリングをかけたことでナイバシャにおける石鹸販売成功のポイントが浮かび上がってきました。調査後、成功事例をワークショップの中で紹介するようになってからは、参加者の実践率も上がったと思います。ベストプラクティスを見せると、ケニア人はついてくるなと実感しました。

 

調査をしてみてよかったですね。

2年間の活動を振り返ってどうですか?

 

現地社会を肌感覚で知ることの大切さを学んだと同時に、人と面と向かってコミュニケーションをとらないと何もわからないし、入り込んでいけないなと思いました。

計画通りにいかないことだらけだし、人間関係でも随分悩みました。でも限られたリソースの中で課題に取り組むことにストレスを感じなくなったし、「あ、こういう考え方もあるんだ」と何事も大きく受け入れられるようになりました。

フィールドワークで行っていたことは「石鹸づくりをしなさい」とか誰かに言われたわけではありません。文化や価値観の異なる環境において、自分で計画し、行動を起こして、修正をかけていくというのは初めての体験で勉強になりました。

地域の人びとと。

 

苦しい思いをしたり、何より自分自身と闘って強くなられたのですね。

帰国前、同僚から「周りと気持ちよく働くためにどうしたらいいか、あなたを見て学んだよ」と現地スタッフに言われて、予想外すぎてすごく嬉しかったです。約束を守ったり、時間を守ったり、ありがとう、ごめんねがきちんと言える日本人。普通に日本人でいることが世界では大きな強みになるものなんだとわかりました。

 

大事なことですね。ミャンマーへ行った初海外での衝撃から始まり、色々な国での活動を経て今後はどうでしたいですか?

「恩返しをしたい」と思っていたけどそういう意味では何もできなかったと思います。ケニアでの2年間もタンザニアの時と同様、学ばせてもらうことの方が断然多かった。これからだと思います。今は日本に帰ってきて、開発コンサルで働いています。日本の技術で世界をよくするお手伝いができるよう頑張っています。

 

しおりさんのワールドワイドで学生時代から社会人になってからの活動、たくさんの経験を聞かせていただきありがとうございました。今後も世界中に飛び出してしおりさんの思う「恩返し」を実現してください。

 

 

 
 
嶋谷梨沙
フリーランスライター。大学3年生の春にオーストラリア(ケアンズ)で3週間の語学留学。その後、休学して1年間のカナダへ2回目の留学。以降、ケニアやカンボジアなどの国で様々な活動を行う。キーワードは「ロハス」「マラソン」「ソーシャル」。2016年1月よりハネムーンマラソンに出発し、マラソン世界一周達成。