「青年海外協力隊なら現場が見える!」村落開発普及員としてガーナへ!(Shokolaさん)
|派遣前訓練中、村落開発普及員の同期たちと。皇太子殿下謁見(えっけん)の際に再会。任期が終わった後も世界中に羽ばたいていく仲間が多かったそうです。
■「私が知っている世界は本当にせまかったんだなぁ。」派遣前訓練で広がった自分の世界
–応募が通った後の流れを聞かせていただきたいのですが、派遣先に行く前に研修などはありましたか?
はい、行く前に派遣前訓練というのがありました。派遣候補生となったメンバーが3ヶ月間、訓練所で、共同生活をしながら訓練を受けます。訓練中は、現地の公用語や国際協力についての基礎を学んだり、地域でボランティアしたりしました。
–公用語学習もあるんですね。
はい、アフリカ派遣だと、英語の他に、フランス語やスワヒリ語の訓練を受ける人がいます。南米だとスペイン語かポルトガル語、アジアだとタイ語など各国語になります。
ただ、私の場合は、ガーナでの現地語は、現地に行ってから学んだので、訓練所では英語でプレゼン練習でした。
–訓練所での生活はどのようなものでしたか?
はい、やはり合宿や研修ではなく訓練所なので、規律があり厳しかったです。
1日のスケジュールも勉強時間までかっちりと決まっていました。体育会系の人で合宿とかに慣れている人は大丈夫かもしれないのですが、私はそれまで実家暮らしのOLだったので、これが結構大変でした(笑)
–共同生活って部活の合宿みたいな感じなんですね。やってみていかがでしたか?
訓練中に参加したパレスチナ難民の支援活動の時の写真。シリアに派遣されたシニア海外ボランティアの方々、メキシコ出身の語学の先生と。
はい、私にとって「訓練所で様々な人と出会えた事」が、ガーナに行く前では一番の感動であり学びでした。
私は横浜で育ち、東京の大学を卒業して、丸の内で働いていたという事もあって、今までそういう層の人たちとばかりとして付き合いがなくて。
でも、訓練所には全国各地津々浦々から色んなバックグラウンドを持った方が来ていて、私の今まで知り合う事がなかった人たちと一緒に生活できて、そういう経験が私にとってはすごい学びでした。
–ちなみに、どんな方がいらっしゃったんですか?
例えば、高校を卒業してずっと自動車整備士をしていた方とか、シニア海外ボランティア(40歳以上のボランティア)の方とか。
いわゆる自分のおじいちゃんみたいな方が、覚悟を持たれて、ミミズみたいなアラビア文字を勉強していたりして、単身もしくは家族とともに行かれているのは私には驚きでした。
そういう人たちと一緒に暮らして、かわいがってもらえたりなどして。私の人生は今までずっとレールに乗ったものだったので、「本当に狭い世界しか知らなかったんだなぁ。」と感じました。
■いよいよ、ガーナへ!まずはホームステイで現地語学習とコミュニケーション♪
ホストシスターのジュリエットさんと。シングルマザーの彼女は、息子を高校に進学させるためチラ村のメイン通りで雑貨屋を開業。活動中はバイクを止めさせてもらって、近くの露店で昼食を食べたり、村で作った石けんを売ってもらったりしたそうです。
–そして、訓練が終わっていよいよガーナですね!活動していた村に行かれて最初に植林活動をされたのですよね?
と思うかもしれないのですが、実は、最初からすぐに活動するわけではないんです。国や活動内容にもよるんですけど、私の時はガーナに到着したら、「2週間現地の村でホームステイ、2週間JICAオフィスで研修を受ける。」というシステムでした。
–では、行ってすぐに仕事するわけじゃなくて、最初の3ヶ月は「ホームステイ+研修」という形なんですね。
ホストシスターのジュリエットさんと、ホストマザーのヤー・ポクヤさん。一緒に夕ご飯を作っているところ。
そうなんですよ、最初は、ホームステイで現地語を覚えたりとか村に慣れるための活動をします。
原則として配属先が、住居を用意することになっているので、私の場合は住居が整うのを待ってから赴任先に引越しました。隊員によってはそのままずっとホームステイする人もいるんですよ。
まずは配属先の土地と気候になれて、村そのものに慣れる事から始まるといった感じでしたので、実際に村で本格的に活動するのはガーナに入ってから半年くらいしてからでした。
ただ、これが活動をする上ですごく大事で、村の人たちと最初にしっかりと仲良くなっておく事が後々の活動ですごく役立ちました。村の人たちと仲良くなって信頼関係を築く事で際に活動する際に信用してもらえたりするので。
–信頼関係が大事なのは、どこに行っても一緒なのですね。ちなみに村はどのような村だったのですか?
ホームステイしたチラの村。ステイ後に住んだ家はこの村の外れの木材業者のゲストハウスだったそうです。
私がホームステイしていたチラの人口は1万5千人で、ガーナで最も多いアカン系の民族が古くから住む所でした。メイン通りには教会やモスク、市場や集会場、チーフの家が並ぶ街並です。
–ホームステイでの現地語学習はいかがでしたか?
チラの村から30分ほど車で南下した州都スンヤニのマーケット。野菜や肉、穀物、雑貨、なんでも売っているそうです。
はい、これは現地語(チュイ語)を学習する機会としても貴重な時間でした。
現地で英語の先生をしている人が、英語でチュイ語を毎日教えてくれるんですね。小学生用のテキストとかを使って、挨拶とか習慣とかを学んだり、マーケットに行って、「トマトを買いたい」を現地語で言ったりとかして勉強しました。
現地語については、これに加えて、自分で活動するうちに覚えていきました。
–英語が苦手な人は、やはり現地語の習得も遅くなるのでしょうか?
私個人の意見なのですが、それは一概にそうも言えないと思います。
実際に、英語は下手だけど、村人の中に入っていくのがうまくて現地語が伸びる人もいますし、逆のパターンも結構ありますので。
–そういえば「トマトを買う」ってさらっと言ってましたけど、お金はどうしていたんですか?
最低限の生活費はJICAからもらえましたので、それを使ってました。でもお給料ってほどの金額ではなく、現地水準に合わせたものです。一ヶ月で何百ドルみたいな感じでした。住居費は配属先が原則負担してくれるので、住居費はかからないので交通費と食費が主な使い道でした。
–村での生活で大変だった事はありましたか?
ビニール袋でとじられた500ccの飲用水「ピュアウォーター」。いたるところで売られていたそうです。
水が止まるんですよ(笑)水道管に水が来ない時は、ビニールに入った水を30個くらい買ってバケツにためて、体を洗うんですね。これは大変でした。。
でもなんとかしなきゃいけないので、水用のタンクを整えて水を溜めるようにしたり、本当に困ったときは近所の井戸から水をもらったりしてしのいでいました。後は困ったのは停電ですかね。
–「水とか停電がきつい」という噂はよく聞くんですけど、本当だったんですね(汗)ちなみにWi-Fiなどのインターネット環境は村にはもちろんなかったんですよね?ネットなし生活なんですか?
州都スンヤニで一年目に行きつけだったネットカフェ。最新音楽をダウンロードしたり、アルバイトの学生と話したり、ガーナの大衆文化を学ぶ絶好の機会でもあったそうです。
村にはないんですけど、村から1時間くらいの街に出るとインターネットカフェがあって、私はその時にブログとか、Facebookで村の様子を発信してました。
後、年に5回ほどJICAにレポートを提出しなければいけないので、それもインターネットカフェで行いました。
–という事は村では、連絡手段なし生活なのですか?
下手したら、そうなりますね。今は携帯が配られるのですが、私たちが行った以前は、安全確認のために家に無線機がが支給されていました。それが携帯電話やインターネットが普及する以前は、唯一の連絡手段でした。
けれど、最近はもうモデムやwifiが当たり前になっていて、無線機も支給されなくなり、ネットカフェに行かなくても自宅でインターネットが出来る環境が整っているようです。
–いやぁ、なんかまだ活動の話をあまり聞いていないのに、普段知らない事ばかりで興味津々に聞いてしまいました!後編では、いよいよ現地の村での活動の話を聞かせてください!
次回は、Shokolaさんのガーナでの活動、青年海外協力隊を終えて気づいた自分の変化、そして今の活動についてお届けします。配信は明日11月17日(火曜日)の18時です!
配信は、留学Person公式Facebookページと公式Twitterにてお知らせします♪
【追記】
後編、配信開始しました♪
→「ガーナでの協力隊の活動が私を原点に戻してくれました。」(SHOKOLAさん_VOL.2)