大学院卒業後に、青年海外協力隊の「野菜栽培」隊員としてパナマへ!(宮﨑大輔さん)

青年海外協力隊の農業隊員としてパナマで2年間活動されていた農業コンサルタントの宮崎大輔さん青年海外協力隊の野菜栽培の隊員としてパナマで2年間活動されていた農業コンサルタントの宮﨑大輔さん。

 

■今回、取材させていただいた留学Person

 

海外留学体験談インタビューマガジン留学Person。

今回インタビューさせていただいたのは、JICAの青年海外協力隊の隊員としてパナマで活動されていた宮﨑大輔さん(みやざきだいすけ、以下、宮﨑さん)です。

宮﨑さんは、大学院を卒業後、すぐに「野菜栽培」の隊員としてパナマの村で活動。現地で培った経験を元に、現在はフリーランスの「農業コンサルタント」として世界中で活躍されています。

「途上国の村で農業を教える」。今でこそ、アフリカ、中南米などの途上国で活躍されている宮﨑さんですが、隊員時代は、「経験ゼロのスペイン語」、そして「ほぼ経験のなかった途上国での生活」に大苦戦。

任期中は「日本では想像できないような暮らし」を経験し、その事が今のキャリアに大きくつながっていったそうです。

途上国での滞在経験もほとんどなく、スペイン語も全くできなかった宮﨑さんを世界に駆り立てたパナマでの生活とはどのようなものだったのか?

今回は、協力隊での2年間、そして「それが今にどうつながっていったか?」を宮﨑さんに伺ってきました!

 

■イチゴ農家になるはずが一転、新卒で協力隊に!?

村の女性と家庭菜園の相談中。パナマの派遣先の村にて。村の女性たちと家庭菜園の相談中。

 

–宮﨑さん、本日はよろしくお願いします。

はい、よろしくお願いします。

 

–まず、宮﨑さんの海外体験について聞かせてください。

2013年の7月から2015年の6月まで2年間、青年海外協力隊の隊員としてパナマに行ってました。

現地への派遣が大学院を卒業して少しの頃でしたので、僕が25歳の時でした。

 

 

–現地ではどのような事を?

パナマでの講習中の写真「家庭菜園プロジェクト」の参加者に野菜の育て方を説明している様子。

 

すごく簡単に言うと、パナマの村で農業を教える仕事をしていました。応募した職種で言うと「野菜栽培」というものになります。

 

–野菜の育て方を教える?

はい。ただ、実際は野菜だけではなかったんですけどね。トマト、キャベツ、ピーマンなどの育て方や、牛や馬のような牧畜、川魚の養殖まで色々とやりました。

 

–それ、すごいですね。食に関する事全てじゃないですか(汗)。

はい、この他にお米とかもありましたよ。

 

–ちなみに、なぜ協力隊に行こうと?それも新卒で。

きっかけは偶然の出会いでした。旅行中にたまたまゲストハウスで出会った子が「アフリカで協力隊になりたい!」と言っていたんですけど、その話を聞いて「こんな制度あるのか!」となったんです。

 

–それまでは協力隊の事は知らなかった?

大学院時代に実家のリンゴジュースをプロデュース大学院生時代に実家のリンゴジュースをプロデュースしていた時。

 

はい、全然知りませんでした。学部時代から研究テーマがイチゴでしたので、最初はイチゴ農家になろうと思ってました。

結構真剣にイチゴ農家になるつもりだったのですが、途中から「地域活性化」や「町づくり」、そして「途上国」の事にも興味が出てきて。協力隊を知ったのはちょうどそのタイミングでした。

 

–という事は新卒で協力隊に?

はい、新卒で協力隊でした。

 

■応募条件には実務経験2年以上!新卒の宮﨑さんが、それでも青年海外協力隊になれた理由。

 

訓練所の授業でスペイン語でワークショップを開催訓練所の授業でスペイン語でワークショップを開催。

 

–ちなみに、それまで海外に行った事はありましたか?

僕、剣道をやっていましたので、その関係で中学生の時に韓国には一度行った事がありました。ただ、それは道場のメンバーで行ったので1人で海外に行った事はありませんでした。

そんな感じで全然「海外経験」がなかったので、協力隊への応募を迷っていた時に「一度、途上国に行って見よう」と思ってインドに3週間ほど行ったんですよ。

 

 

–なぜ、そこでインドを選んだのですか?

大学時代のインド一人旅でガンジス河へ初めての途上国。インドのガンジス川にて。

 

一番やばそうな国。。。

 

–なるほど、確かに。やはり、インドはやばかったですか?

やばかったです(汗)。

噂通り、「数十人にだまされる」というえらい体験をしてしまいました。。「今日は電車がストップしてるから、あっちのツアー会社の車を借りないとダメだ。」とか。もちろん、電車は止まってないんですよ。。。

インドに比べたらパナマの治安は全然マシでした。まぁ、でもこう言いつつもインドは好きなんですけどね。

 

–さすが、インド。。期待を裏切らないですね。。。派遣先をパナマにされたのは、何か理由があったのですか?

パナマの首都「パナマシティ」。あまりの都会ぶりに最初すごく驚かれたそうです。パナマの首都「パナマシティ」。あまりの都会ぶりに最初すごく驚かれたそうです。

 

正直に言うと、場所はどこでもよかったんです。

希望を3つまで出せて、僕の第一希望はネパールで、第二がパナマ、第三がザンビアという感じでした。

 

–「場所はどこでもよかった」というと、他に何か重視されたものはあったのですか?

はい、僕の場合、「実際に、農家のおじちゃんと一緒に畑で働く」みたいな仕事がよかったので、選んだ基準はそこでした。

「研究所で研究」というような感じよりも現場に行きたかったので。協力隊の場合、希望は「国ごと」ではなく、「仕事ごと」で出せたので、「僕の求める条件にあったのがその三か国」だったという感じです。

 

–なるほど、ちなみに応募条件のようなものはありましたか?

 

きゅうり現地で試験栽培したキュウリ。

 

これは、職種や年度にもよるのですが、僕が応募した要請(募集枠)は「農学部卒である事」「関係する実務経験二年以上」のようなものがありました。要請ごとに条件が違うんですよ。

 

–えっ、新卒ですよね?実務経験はなかったと思うのですが?

はい、実務経験かどうか当時はわからなかったのですが、僕の場合「大学院での研究」と「農家を指導する仕事」のようなものも行なっていたので、それが「関係する実務」になりました。

 

–そうか、就職だけが実務経験とは限らないんですね。ちなみに語学力は必要なかったのですか?

駒ヶ根の訓練所。短い期間ながら隊員同士のカップルが生まれる現象を「「駒ヶ根マジック」と呼ばれているそうです。
駒ヶ根の訓練所。短い期間ながら隊員同士のカップルが生まれる現象は「駒ヶ根マジック」と呼ばれているそうです。

 

英語力のチェックは一応ありました。

TOEICのスコアも出す必要があったのですが、僕が応募した要請の場合は最低430点でよかったので、これは全然問題ありませんでした。英語圏に派遣されると、600点以上とかもあったりして、それこそ帰国子女で日本語より英語の方が得意という人もいたりするのですが。

この辺はネットで要請内容(募集)が載っているので、そこを見ると確実だと思います。

 

–興味があったらネットをチェックって感じですね。ところで、協力隊の活動費用は自腹で払うものはないのですか?

宣誓書。「宣誓書」。派遣前に訓練を受けるJICAの訓練所の入所式で訓練生代表として読み上げたそうです。

 

いや、費用に関しては、基本的に「渡航費」や「生活費」も含めてJICAが負担してくれました。あと、「就職準備金」というものを200万円くらい任期が終わるともらえるので、それが帰国後の最初の活動資金になりました。

 

–お給料のような感じのものも一応あるんですね。ところで、パナマって何語なのですか?

スペイン語です。

 

–さらっと、言ってますけど、スペイン語できたのですか?

いや、それが大変で。。。

 

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榎本 晋作
28歳の時にワーキングホリデーでイギリスに。ロンドンでは留学エージェントの立ち上げを経験。在英中に立ち上げた自身のブログは日本ブログ村PV(アクセス)ランキング1位。帰国後『イギリス・ワーホリ留学ガイドブック』を電子書籍にて出版し、Amazon海外留学対策ランキング1位を獲得。高3時点での英語の偏差値は32。(今でも苦手です。)