就活は青年海外協力隊!?日本人教師がブータンで体育を作ったストーリー!(太田幸輔さん)
|学校の生徒たちと。
■お祈りから始まるブータンの学校。学習期間5日のゾンカ語で授業はできたのか?
–派遣後の一日のスケジュールはどのようなものでしたか?
当時の事ですので、時間までは正確ではないのですが、簡単にまとめると
8:00:登校、お祈り
8:30〜12:00頃:午前中の授業
〜13:00:昼食
13:00〜15:30:午後の授業
というのが基本的な生活でした。
放課後は、仕事がある時以外は自由なので、友達の家に行って一緒にご飯を食べたり、出かけて写真を撮ったり、サッカーをしたりなど、結構楽しかったですよ。
–さすが、ブータン。お祈りがあるんですね。
お祈り中の様子。
はい、仏教国ですので。
ただ、この時間がすごくいいんですよ。赴任地が山の上だったので、鐘の音がきれいに鳴り響くんです。雑音が何もなくて、鐘の音とお祈りの声だけですごく心地よくて。
毎朝これを聞くのが好きでした。
–それ、毎日、朝が楽しくなりそうですね!科目は体育の授業ですよね?最初は何語だったのですか?
授業はゾンカ語だったんですけど、やはり最初はしゃべれませんでした。。
–ですよね。5日間の学習とファームステイのみですもんね。。
はい。。ですので、1年間はテンジンという名前の事務の人が一緒についてくれました。彼が英語をゾンカ語を英語に訳してくれて、授業をします。
でも、さすがブータンというか、気まぐれなところがあって。テンジンが来ない時とかあったんです。。
その時は。1人で授業だったので、これがかなり大変で(汗)。
–日本だと想像しづらいシチュエーションですね(汗)。1人の時は英語で授業をしたのですか?
体育中。手前がテンジン。
いや、日本語です(笑)。
–えっ、、、
単語だけだとなかなか理解し合えないし、そもそも学年によっては英語を理解できないクラスもあったので。。
なので、日本語で無理矢理なんとかしようと。。
–なんとかできちゃうものなのですね(汗)。
はい、なんとか。。ただ、やはり、「このままじゃまずい」と思ったので、さすがに対策はしました。
–どのような対策を?
ここでも「ゾンカ語ノート」です!
まず、体育や生活で使いたい言葉を英語で書き出すんですね。
その後に、その書き出した言葉を「ゾンカ語では、なんていうのか?」を聞いて、無理矢理カタカナにして単語を覚えました(汗)。
–根性ですね。まさに。。でも、それでもなんとかなっちゃう物なのですね。
テンジンとも、ゾンカ語で会話するように。
はい、おかげで3ヶ月くらい経つと、多少はできるようになりました。
そして、半年くらいすると、やっと授業がゾンカ語でできるレベルまでには到達できました。多分、この時は人生で一番勉強したと思います。
その時の事を思い出すと、やはり「しゃべれないと授業どころか、生活もできない」という状況に追い込まれると、自然と言葉を覚えられるんだと感じました。
日本人も僕しかいなかったどころか、「街の中で外国人が僕しかいない」という状況でしたので(汗)。
–外国人が太田さんのみ!?
赴任先「ゲドゥ」の風景。
正確にはインド人がいたのですが、彼らはほぼ「同化している現地人」でしたので。
それ以外の国から来たのは僕が初めてっぽかったです。ただ、最初は「誰だあいつ?」という感じだったのですが、半年くらいして言葉も覚えると、僕もだんだん同化してきてしまったんですけどね(笑)。
顔が似ているのも合ったのかもしれないのですが(笑)。
■ブータンの体育。最初の1ヶ月は着替えのみ!?
体育授業が終わったあとの1コマ。ブータンの子どもたちはみんな写真が大好きだったそうです。
–そういえば、ブータンの体育の授業って何をするのですか?
最初の1ヶ月は「着替え」でした。次の1ヶ月は「整列」、その次の1ヶ月は「時間を守る」です。
–着替え?時間を守る?えっ、えっと。。
着替えを教わる生徒たち。
「??」ですよね(笑)。
そもそも、派遣先のブータンの学校には体育の授業がなかったんです。
だから、みんな最初は「体育って何?」って感じでした。実は、僕の任務は体育の授業を作って、「体育とは何か?」を確立する事だったんです。
ちょうど、この時が、ブータン全土で「体育の授業」を作ろうとしている所でしたので。
–なるほど、そういう事だったのですね。でも、「体育の授業がない」というのはなかなか日本では想像しづらい事ですね。
列を作っている時。
はい、ですよね。ちなみにブータンにも全く体育の授業がなかったわけではなくて、実は「スポーツ」という授業はありました。
ただ、それは授業というよりは「好きに何やってもいいって時間だよ〜。」というものだったんです。
なので、初めての授業のときに、「ご飯を食べに行ってしまう子」もいれば、「教室で寝てる子」もいたりして、「勝手にそこら辺で遊んでる」という状況でした。。
–カオスですね。。
はい。体育用の用具もパンクしたバレーボール1個でしたし。。
「えっ、これで何やんの?」って感じで、軽く学級崩壊みたいな状態でした。。
–でも、そんな状況でも「着替え」だけで1ヶ月かかってしまうのは、何か理由があったのですか?
ブータンの民族衣装。
はい、それはそもそも「体育のために着替える」という発想がなかった事が大きな理由でした。
ブータンの子どもたちは、みんな民族衣装を着ているので、着替えをしないと体育ができないんです。
–でも、着替えるくらいは簡単にできそうにも感じるのですが。
それはやはり「抵抗感」というのが課題になりました。子どもたちは、みんな、民族衣装を脱ぐだけでも抵抗があったんです。
というのも、ブータンでは、学校や病院などは、絶対に民族衣装を着ていかなければいけない所なんです。
だから、体育とはいえ、「着替えるのは、ルールを破ることになるでしょ?」という解釈になってしまって。
–あっ、なるほど。そういう事だったのですね。
はい。ですので、そういう「文化に近いマインド」を変えるのには、1ヶ月ほどかかってしまいました。
「整列」や「時間を守る」のもしっかりと教えるのは同様です。言い方が適切かわからないのですが、しつけに近い感覚だったと思います(汗)。
–なるほど。確かに僕らからすると「裸で体育をしなさい」と言われているくらいの感覚だったのかもしれませんね。
「ぺ」と呼ばれるブータンのお線香を作っている様子。
はい、そうかもしれません。
そして、今から考えると、やはり「自分のやり方が正しい」と思うとなかなかうまくいかない事が多かったです。最初に、「自分のやり方を押し付けようとしていた」のがダメだったんだなぁと。
■用具がない環境でも、工夫をして授業を!
体育の授業中。
–文化は違う国で教育をすると気づける事も多そうですね。ちなみに、4ヶ月目以降の体育は何をしたのですか?
とにかくボールなどもないような状態でしたので、なるべく「物を使わなくても出来ること」をやっていました。
最初は、ダンスや走ったり。あと、相撲とかも。
ただ、それだとさすがに限界が来てしまったので、僕が出た大学の体育学科の友人たちに「使わないもの全部送って!」って頼んで、ボールなどの道具をめっちゃ送ってもらってなんとかしました。
–ありがたいサポートですね!ちなみに、教えていた生徒たちの年齢はどのくらいだったのですか?
日本から送ってもらったボールでサッカーをする生徒たち。
日本の年齢にすると大体5〜14歳を教えていました。
ブータンは毎年落第を含んだテストがあるので、同じ学年でも年齢がみんなバラバラなんです。
–落第って、厳しいですね(汗)
はい、学校に入る年齢も違いましたし、厳しいと思います。「僕3回落第してます」という生徒もいましたし。
–ちなみにブータンは義務教育なのですか?
セメント塗りなども含め自分たちで作ったバスケットコート。ブータンでは、このような「モノヅクリ」は自分たちでやるのが普通なのだそうです。
いえ、義務ではありません。ただ、一応無償で学校通えるみたいな制度はあるみたいです。
ただ、「家で農業やるからお前は学校にはいくな」という親もすごい多かったです。
あと、お金がなさすぎて学校に行かせることができない家庭もすごくあるので、やはりその辺のはいまだに「問題は山積み」なのだと感じます。
■「お前、なんで遊んでんの?」〜先生にも理解してもらえてなかった。〜
体育中の女の子。
–「体育の授業がなかった」という事は、他の先生も体育が授業だと理解できなかったと思うのですが、いかがでしたか?
はい、もちろん先生も「体育が授業」という概念はなかったので、その価値観を変えるのもすごく大変でした。
中には「お前、なんで、ただの遊びをやりにきてんだよ。」という態度の人もいて。
「お前、サッカーとか、走ったりとかするだけで、楽な仕事だな。」って言われて、めっちゃ喧嘩(けんか)したこともありました。
–喧嘩できるまでにゾンカ語が進歩してたんですね!
いや、日本語です(笑)。
向こうもヒートアップしてインドの現地語を使い始めて、もはやお互いに全く何を言っているのかわからない状態で戦ってました。
–なるほど。もはや、動物の戦いですね(笑)
友人シェラップ(右)と。
ですね(笑)。ただ、すごい理解を示してくれる先生もいて、それが後に僕の親友になってくれたシェラップでした。
シェラップは自分の授業がない時は、「今日何やるの〜?」という感じで、体育の授業を手伝いに来てくれてすごく助かりました。
–やっぱ、そういう協力者の存在ってありがたいですよね。
はい。やはり、自分のゾンカ語では「細かい部分で伝えきれない箇所」があるので、彼の存在はすごくありがたかったです。
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