「日本語講師も大学院生も120%!」アメリカポートランド大学院留学(山口真奈美さん)
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■周りはみんな社会人の方ばかり、そこでの出会いも貴重な体験に
–では、次に、奨学金プログラムについて詳しく教えていただけますでしょうか?具体的にどのような手順で審査は進んで行ったのでしょうか?
はい、私の時の話ですが、まずは、一次で書類審査がありました。就職活動のエントリーシートのような感じです。
次に、二次試験で大阪に行き英語と面接の試験が行われ、後日、合否が決まりました。
その後に、大学とのマッチングでした。これは、自分のやりたいコースのある大学が、ALLEXからの日本語講師を派遣する先としてあるかどうかを決めるものです。そのマッチングは完了したのが2月です。6月12日に出発だったのですが、それまでの期間で留学準備をしました。
–他に奨学金に応募されていたのも大学を卒業したばかりの方だったのですか?
いや、今でもすごくよく覚えているのですが、本当に色んな方がいてバラエティ豊かでした!
看護師やライターの方など。大学を卒業してすぐだったのは2名くらいで、他の人はほぼ社会人でした。そういう環境で、他の方に比べて仕事を辞めてくるとかそういうのではなかったので失うものがない分、面接前は「失敗しても大丈夫!」くらいに開き直る事ができました。
中には60代の女性もいたりして、本当に「いくつになっても、なんでもやろうと思えばできるんだ。」と強く感じました。このような出会いも当時の私にとっては本当に貴重な体験でした。
–ちなみに渡米前に日本語講師の経験はあったのでしょうか?
いや、私は英語の教員免許しか持っていなかったので、そのような経験も資格もありませんでした。
–それでいきなり現場に入って大丈夫でしたか?
ALLEX同期生と研修の合間にフィラデルフィア観光
あっ、それはアメリカに出発したのが6月で、最初、日本語講師をするための研修が8月中旬まであったので大丈夫でした。そこから9月にポートランドに行った感じです。
■「みんなに好かれるわけではない、みんなに好かれなくてもいいかな。」心を強くしてくれた日本語講師としての経験
日本語クラスの生徒たちと(様々な年齢や国籍の方がいらっしゃいました。)
–日本語のクラスでは、英語で日本語を教えていたのでしょうか?また、どのような事を教えられていたのでしょうか?
いえ、担当した日本語のクラス自体は日本語で行われていました。日本語で日本語を教える感じです。
私は日本語の会話のクラスを担当していて、テキストに出てくる日本語のフレーズを引き出すために、どのような授業をするかを事前に考えて授業にのぞみました。
後は授業準備として、テキストのフレーズを引き出すための小物を用意していました。
–小物というとどういう物を?
例えば、「大丈夫ですか?」という言葉を引き出すために薬を持って行ったり、「雨ですか?」という会話の練習の時は、傘を持って行ったりなどです。
テキストに出てくるフレーズを使えるような物を持っていく感じです。
–生徒はやはり大学生ばかりでしたか?
あっ、それがそうでもなくて。
確かに20代の大学生が多かったのですが、10代から60代まで幅広い年代の生徒がいたんです。幅広い年代の人と接した事で、色々な考え方に触れられたのもいい経験でした。
ただ、大学を卒業してすぐでしたので、最初、全然先生だと気づいてもらえず「先生はいつ来るんだろうねぇ?」と生徒から話しかけられたりしていました(笑)
–日本語講師をしていて、どのような事が印象的でしたか?
はい、一年目に私は約20人の人を3クラス教えていたのですが、やはり1人か2人くらいは私と相性の悪い人もいて。。。
それまでは「自分はみんなに好かれていたい」と思っていたので、23歳の私にはその事がとても辛くて傷ついてしまいました。
それを教授に相談したら、「大丈夫よ、まなみ。そういうのにも慣れてきてだんだん、お母さんみたいな気持ちになってくるから」と励ましてもらいました。
その言葉通り、だんだん慣れてきて「みんなに好かれるわけではない、みんなに好かれなくてもいいかな」と思えるようになりました。この経験のおかげで自分自身が強くなれたのだと感じます。
1年間の授業終了時に日本語クラスの学生から貰ったメッセージ
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