「日本語講師も大学院生も120%!」アメリカポートランド大学院留学(山口真奈美さん)
|机とベッドしかなかった寮の部屋
■日本語講師と大学院生活の両立「私は本当に教える事がものすごく楽しくて充実していました。」
–では、次に留学中の生活について教えていただけますでしょうか?留学中はどのような1日を過ごされていたのでしょうか?
はい、基本的なルーティンは、朝8時に日本語のクラスで講師をして、その後はフルタイムで修士の授業を2教科ほど受けて、夜の18時から、また日本語講師をしていました。
–朝から晩まで活動しっぱなしですね、授業以外にはどのような事をされていたのでしょうか?
はい、授業が終わると、夜は予習や翌日の授業の準備などに追われる生活でした。大学院の勉強は本当に多くのテキストや課題図書を読まされました。そして、私はネイティブではないので、英語を読むのに当初は4倍くらいの時間がかかっていたので負担は他の生徒より大きく、本当に大変でした。
寝るのは26時や27時になってしまう事が普通で、論文の提出日とか寝れない時もありました。朝起きたら「眼が開かない〜!!!」」という夢を留学中繰り返し見ました(笑)
このような生活が2年半ほど続いた感じです。
–まさに勉強漬けな留学生活ですね。大学院での授業はどのようなものでしたか?
科目としては、「社会言語学」や「国際文化(異文化間)コミュニケーション」など、様々なものがありました。言語も文法、単語、音声など着目するものが分かれていて、それを少しずつ取っていました。
–授業はディベートスタイル(生徒や先生同士が意見を言い合い進むスタイル)のものもありましたか?
はい、そのスタイルの授業はすごく多かったです。むしろ、ほとんどそういう授業でした。
–日本人はディベートでなかなか発言ができないと聞くのですが真奈美さんはいかがでしたか?
多くの日本人の方と同じで、私もなかなか発言はできなくて大変でした。
ただ、教えているのも元々は英語の先生なので、外国学生には慣れていてすごく優く、私に対して「真奈美、日本ではどうなの?」と聞いてくれたりしてくれて、それがすごくうれしかったです。
ただ、先生の話している事はついていけたのですが、議論が深くなってくると、その深みについていけないという状況になる事があり、それには苦労しました。
–その他に何か印象的な授業はありましたか?
大学院のクラスメイトと授業を終えてパーティしている時の1枚
はい、クラスメイトたちとグループを作ってカフェに集まり、課題図書に対してディスカッションするスタディグループへの参加が私にとって思い出深いです。
その授業は課題図書が与えられて、それを事前に読んできて同じグループのメンバー同士で意見を言い合うのものなのですが、私は日本の大学で「意見を持ちながら本を読む」という事を一切していなかったので、ディスカッションで意見を言えないのには困りました。
向こうでは、ディスカッションで意見を出さないというのは参加する事に対する責任を果たしていないという事になってしまうので、最初はすごく困りました。
他のクラスメイトたちが「私はここのこういう所が嫌いだった。」と、「でも、このフレーズが印象的だった」という意見を言うのを聞いていて、「自分が嫌いだったところ」「好きだったところ」「わからなかったところ」の3カ所を意識して読んでいくようにして、だんだんディスカッションにも慣れて行きました。
–ちなみにクラスメイトはネイティブスピーカーばかりでしたか?
ネイティブの人が多かったのですが、私のような外国人もいました。オレゴンの土地柄アジア人も多く、アメリカで育った中国人移民や私のような留学生の韓国人などもいました。
–夏休みとかはありましたか?
はい、タームごとの休みはきちんとありました。お金があまりなかったので、その時期は日本語コースの夏の集中コースに講師を務めて、少しばかりお金を貯めていたりしました。
–とても厳しそうな留学生活に聞こえるのですが、辛くなかったですか?
ALLEX同期生で苦楽を共にした晶子さんと卒業式にて
うーん、確かに大学院生と日本語講師の両立はきつかったですけど、私は本当に教える事がものすごく楽しくて充実していました。朝に授業したら、充実感が得られて、すごく好きで、それ以外の事をしたいとは思わなくて。お金もあまりなかったですし。
■自分をタフにしてくれた留学生活「あれを乗り越えられた、ほとんどの事は乗り越えられる!」
留学中にお世話になった教授や講師仲間と(今でも交流は続いているそうです。)
–では、次に真奈美さんの留学後の生活について教えていただけますでしょうか?
留学後は日本に戻って翻訳会社に入りました。最初の5年間くらいはその仕事を続け、その後に色々と転職して、今は医薬品開発支援企業で副作用報告の翻訳をしています。
–英語の先生になりたいと思って留学したのですよね?先生にならずに翻訳会社に入られたのは何か理由があったのでしょうか?
はい、確かに、留学前の夢は英語の先生になる事でした。
ただ、留学中に日本語の講師をやった事で日本語の事も好きになって、留学中はずっと「日本人とは?」という事を考えて過ごしていました。そういう事もあり、英語に対するこだわりが取れたのが自分の選択肢が広くなった理由です。
このような背景もあり、「日本語や英語を教える」というこだわりはなくなり、今の仕事をする事を選びました。「もっと言語そのものを深めてみたい」という気持ちがあったのも翻訳会社を選んだ一つの理由です。
–今でも「教えたい」という気持ちはありますか?
はい、もちろん、今でも何かを教えるのが好きです!
ただ、今の仕事でも新しい人に何か教えたり、言語を教えるという事に関しても日常的に行っているので、「誰かに何かを教える感」は常に得られているのですごく満足しています。
–留学前の自分と今の自分の変化はありましたか?
はい、留学後は何事にも物怖(ものお)じしなくなりました。「自分の言いたい事はちゃんと言う、自分のやりたい事はやる」という風に。
留学前は自分からバンバン自分から何かをするというタイプではなかったのですが、ここは自分がすごく変わった所だと感じます。
後、一番大きな変化は「不安を持たなくなった」という事です。
やはり、留学中はすごい大変だったので「あの頃より大変な事はないだろう、あれを乗り越えたからほとんどの事は乗り越えていけるんじゃないかなぁ」と思うようになって。なので、今は新しい環境に入る事にほとんど不安を感じなくなりました。適応力がついたのだと思います。
–日本語講師と大学院生を両方とも体験できたわけですが、普通の留学との違いは何か感じますか?
ALLEX(旧Exchange: Japan)の同期生と故ジョーデン教授を囲んで
はい、ALLEXのプログラムを使っていったおかげで「社会的な責任の一端を担う」という事が自分の中ではすごくよかったです。
留学生としての立場だけではなく、社会的に責任ある立場でやり遂げたのが自分の中で大きな自信につながりました。
–お話伺っていて、強く感じたのですが、真奈美さんは本当に留学を通してすごく強くなったんですね!
はい、そう思います、今思い返すと本当に強くなれたと思います。
奨学金の規定で、大学院の成績も一定以上をキープしなければいけなかったのと、アメリカの大学はタームごとに生徒から評価を受けなければいけないので、どちらもおろそかにできなかったので、どちらも120%のパワーでこなされなければいけないというのが自分をタフにしてくれました。
本当に大変でしたが、素敵なプログラムなので、ぜひ多くの方にチャレンジしてほしいと思います!