人生の二大テーマ『国際協力』と『ドイツ』を合わせた経験が今の生き方に繋がりました。(浦野聖さんVOL.2)
|
ボランティアスタッフとして活動したドイツ国際平和村で。
■人生は何がおこるかわからないから好きなことを。
-もう一度ドイツに行かれていますよね?社会人になってからですか?
はい、4年後にまたドイツに行きました。
大学卒業後は3年間企業で働きました。その間、青年海外協力隊の説明会に行っていたり、「やっぱり国際協力に関わりたい」と思いながら過ごしていました。
そんな時、肺に穴が開いてしまって(自然気胸)手術をする事になってしまいました。これは思いもよらない出来事でしたが、この事がモヤモヤしていた自分に「人生いつ何がおこるか、わからないから好きなことをやろう」と強く感じさせてくれて、もう一度ドイツに行く国際協力で行く決断をしました。
–2回目のドイツ行きはどんな目的で行ったのですか?
病気になる1年ほど前に、『ドイツ国際平和村』というのがドイツにあることをテレビ番組「世界ウルルン滞在記」を見て知りました。
その後『ドイツ国際平和村』のホームページを見てみると、一年間の期間限定の現地ボランティアスタッフを募集しているのを見て「ぜひ行ってみたい」と思いました。
※ドイツ国際平和村とは…紛争地域の怪我や病気の子どもたちをドイツに連れてきて治療し、また母国に帰すという活動を40年以上続けているオーバーハウゼン市にある平和村。
https://www.friedensdorf.de/Welcome-102.html
-NGOの現地ボランティアスタッフですか。“国際協力”にも“ドイツ”にも興味がある浦野さんにぴったりですね。
はい!自分の二大テーマとばっちり合っていて。自分ではよく言う表現なのですが「盆」と「正月」がいっぺんに来たような気分でした。「これだ!見つけた!ここに行く!」と大興奮でしたね。ホームページから勢いで応募して行くことになりました。
■初海外の時に興味を持った『国際協力』を通じて。
–平和村ではどんな風に毎日を過ごしましたか?
子どもを起こして着替えを手伝ったり、配膳、シャワーの手伝いをしたり、日常生活の手伝いをしていました。毎日です。
紛争地域でいた子どもたちの症状はさまざまで、病院に入院する子どもの準備をしたりしました。
–ちなみに、給料は出たのですか?またどんなビザで滞在していたのですか?
給料は出ないのですが、その代わり、食事など平和村内では費用はかかりませんでした。一般的な留学やワーキングホリデーでもなくて、ボランティアをするためのビザでした。
–自分の持っている二大テーマで活躍できるなんて素晴らしいですね。
でもいざドイツに行くとなるとドイツ語が話せないと…難しそうですが話せましたか?
旅行会話とか日常会話は成立しますが、文法がすごくややこしくて(冠詞とか)。。。難しいけど、一応通じます。
–十分すごいですね。どうやって勉強したのですか?
検定マニアだったので「ドイツ語検定」を受けていたり(笑)。あと、私の場合は社会人になってからでも電車に乗っている時にドイツ語を聞いたり、家でも朝、出勤の準備をしている時にラジオをつけていたりして。「聞き流し」ているような時もありますが「~ながら勉強」を隙間時間を見つけてしていました。
–なるほど。社会人になっても勉強時間は自分で見つけてできるものなのですね。
ドイツ国際平和村での活動が終わって帰国した後はどんな風に浦野さんのテーマに合わせて過ごされているのですか?
帰国後はNGOに就職しています。
自分の仕事が途上国の子どもの支援に役立っているのかな?と感じながら仕事をできるのは嬉しいです。
現職のNGO『わかちあいプロジェクト』では、フェアトレード支援、難民支援、自立支援を中心に活動し、人々を支えている。
–一言で、ドイツに飛んでよかったですか?
もちろん!周りの人は、帰国したらどうやって食べていくのかとか心配されることもありました。でも、やっぱり思い切って踏み出したことによって全部が回りだしたと思います。
振り返ると、前回の記事、大学時代のフィリピンでのボランティア留学の体験も含めて、全部が繋がっていると感じます。
やっぱり海外への経験も、仕事も、人生も、どこかに行ってみないと次の場所へ行けないから。行ってみて始まり、繋がっています。これからももっと今までの経験を生かしたいです。
–浦野さんならこれからも、今までの経験を広げていけますね。今後も楽しみにしていますね。ありがとうございました。