「何とかなるとは何とかすることだと学んだL.A.での語学留学」米山遥香さん
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■行ってみたら、まさかの日本人だらけ。。思い切って転校を決意!
–アメリカでのどうやって語学学校や滞在先を見つけたのですか?
留学エージェントをいろいろ探して、無料で相談できるエージェントを見つけました。
それまでも5、6個エージェントをまわりましたね。
ちなみにNYかL.A.か留学先も迷ったのですが「暖かいところがいい」という理由でL.A.に決めました。(笑)
–いざアメリカへ飛んで、待望の英語を学ばれたのですね。
そうなのですが、意外なところで早くも難関が出てきました。
語学学校のオリエンテーションに行くと日本人が多くて驚きました。
でもこれはきっとオリエンテーションだから例外はず。。。と思っていたのですが…授業がスタートしてもやっぱり8割が日本人生徒で。。。がっくりしてしまいました。
–ほぉ。国際色豊かな留学生活を夢見ていたのですか?
まさかこんなに日本人がいるとは思わなくて。
クラスも下から2番目だから日本人同士で英語を話してもお互い意味がわからなくて日本語で話した方が早いってなってしまうんです…だから「もう日本人と話さない!」とつんっとしていました。そしたら私だけ孤立して、、、いきなり悩んでしまいました。
–日本人が多い。。。その悩みはどうやって突破したのですか?
現地にあるエージェントや学校に悩みを打ち明けてみて、学校を一度転校したんです。
でもやっぱりL.A.は日本人が多いのだ、と分かり…そこから
「よし、学校以外の場所もうまく活用しよう」と切り替えました!
バスに乗る時は単語帳を広げるようにしたら、バスの中で話しかけてくれる人が多くて。話が盛り上がりすぎて停留所で降りるのを忘れたことも。(笑)
あと「ここに座りますか?」とか「傘に入りますか?」とか些細なことでもとにかく話してみるようにしました。
自分で環境を変えたことによって一気に心持ちも変わって、趣味のダンスを生かして最近流行りの“ZUMBA”に通うようになったり、心に余裕が出るようになりましたね。
バスの中では常に広げるようになった単語帳。
■話すチャンスは掴むもの!スパイダーマンからのお誘いも断らない。(笑)
–少しの心がけで一気に変わったのですね。
ところで半年もいるとイベント行事も随分楽しまれましたか?
私の母の知り合いの知り合いのアメリカ人家族の方がL.A.にいて、クリスマスやパーティーに呼んでくれて、それだけでなくラスベガスやサンフランシスコに一緒に旅行に行く時は声をかけてくれて、
そこでも英語で話し、新しい単語を自分から学ぶ機会が得られました。
自分でいうのもなんですが、ほんとにラッキーだなあと思いました。
–予想していなかった嬉しいハプニングですね、他にも嬉しいハプニングとかありましたか?
「うーん、あ、そういえばスパイダーマンと友達になりました。(笑)」
–え…スパイダーマンと友達ってどういうことですか?
ハリウッドにいると仮装した人がたくさんいるんですよ。私はマイケルジャクソンが好きだったのである日マイケルジャクソンの手形で写真を撮っていたら、電柱にのぼっているスパイダーマンが降りてきて…
–うんうん、ハリウッドっぽいですね。
そしたらそのスパイダーマンは世界を回って起業をしたい想いを持っているとかいろいろと話してくれて仲良くなって。。。(笑)
おかげでアメリカ生活の最後の2か月くらい
週に2回ペースでのCAFÉ英会話をするようになりました。
あとから考えると、他にそんなことする人いないと思いますけど
“英語を話したい!上達したい!”と思っていたから何でもチャンスは掴んでいきました。
それがスパイダーマンだろうが…(笑)
スパイダーマンに話しかけられた瞬間。
–遥香さんって想いで動く人ですよね。(笑)
アメリカ留学経験を、次のカンボジアでのインターンで、どう活かせそうですか?
そうですね、英語も自信がついたしやることはやりました!
ずっと実家暮らしだったので洗濯もできない、料理も絶対できないと思っていましたがいざとなったらできるもんですね。不安はあるし、緊張しますが「なんとかなる」と思います。実際アメリカ留学も「なんとかなる」から「なんとかしなきゃ」に現地に行ったら変わりましたから。
–頼もしいですね、またカンボジアでのインターンのお話も聞かせてくださいね。ありがとうございました。
アメリカ留学中に披露した想い出の文字。夢。