「ネイティブスピーカーと対等に話せるようになりたい」田中健士郎さん
|■今回、取材させていただいた留学Person
留学体験談インタビューマガジン留学Person。
今回、取材させていただいた留学Personは、社会人になりビジネスで英語を使うようになるまで、大学1年生に初海外デビューをしてから、少しずつ英語と海外での過ごし方をステップアップさせた田中健士郎さん(たなかけんしろう、以下、健士郎さん)です。
「いつかビジネスで英語を使って、笑いのつぼをネイティブスピーカーと共有したい」。
アジア、ヨーロッパ、アメリカで海外営業をはじめ仕事で海外出張を何度も経験されている健士郎さん。大学在学中は、1年時に初海外でオーストラリア(ケアンズ)に語学留学。それを皮切りに、2年生で同じくオーストラリアのヌーサに再度語学留学、そして、4年生でアメリカサンディエゴの大学での交換留学をされました。また、大学3年時には交換留学の夢を叶えるためにTOEFLの学習にも力を入れられました。
■短期留学に行くごとに、また次の留学の目標ができました。
-よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
-健士郎さんは仕事で一年の半分は海外で過ごされることもあったようですが、もともと小さい頃から海外によく滞在していたのですか?
いえ、家は全く海外志向ではなくて、大学1年生の春休みまで海外に行ったことがありませんでした。
-大学でも経済学部ですが、どうして英語を勉強することにしたのですか?
実は大学受験で第一志望の大学に入れなくて、それで「大学に入ったらがんがん勉強をしてやろう!」と思っていました。
特に「英語」って決めていたわけではなくて、「英語」は大学の風習の影響もありました。でも、本当に英語を勉強しておいてよかったと思います。英語というより海外に語学留学に行ってみてよかったなって。あの時旅行会社へ相談に行ってよかった、こんなに価値観が広がるとは…。
-大学時代に健士郎さんは3回留学に行っているのですよね。まずは最初の語学留学について教えてください。
はい、大学1年生の春休みにオーストラリアのケアンズに1ヶ月行きました。初めての海外だったのではじめてのおつかい、はじめての飛行機、みたいにドキドキしていてまるで冒険でした。小学校の頃に戻ったような探究心むき出しで。(笑)
-なるほど。もう英語どころではない感じだったのですね?
そうですね。でもホームステイ先のルームメイトたちと話すうちに異文化交流が楽しくて。
「韓国では今こういうアニメがはやっているよ。日本は?」
「自国ではこんな企業が今有名なんだ。ケン(ニックネーム)のところは?」
とこんなやり取りをしているうちに「英語が話せたら知識が増えそう…もっと人生が豊かになりそう」と感じてそこから英語をもっと知りたい!とスイッチが入った瞬間でした。
-英語にいろんな可能性を感じたのですね。他にも初めての海外ということで印象深いことはありましたか?
せかせかしないとか、あの時間やルールにゆるい感じには衝撃を受けました。私は東京育ちなので特に…(笑)。余裕があるんですよね、みんな。「こんなにも心が広くなれるんだ、生き方ってたくさんあるんだ」って思いました。虫が大きいとか家の中にヤモリがいるのが普通とか(笑)。日本の常識が常識じゃなくて、、、許容範囲が広がりました。
-大学2年生でももう一度オーストラリアに行ったのですよね?
2回目の留学ということで、1年前より少しハードルを上げて「ホームステイではなくシェアハウス」、「日本人があまりいない田舎街・NUSA(ヌーサ)」へ行きました。
-自分でどんどん海外でのハードルをあげる。いいですね。
はい、張り切ってサーフィンデビューもしました!水泳は高校の部活動として日本でやっていたので上手く新しい自分の趣味を発見!1年前と違うのはNUSA(ヌーサ)の学校ではヨーロッパから来ている人が多かったですよ。
短期留学中でサーフィンデビュー。
-留学中、何か自分なりに工夫したことってありますか?
自分のキャラクターも設定していくことを覚えました。
「自分」というものをより出していきたいと思ったし「日本ってこんなんだよ」と話すことが多くて。「カウボーイハットのKen」と呼ばれていました。あれは麦わら帽子だったんですけどね。(笑)
カウボーイハットのケンと呼ばれた麦わら帽子をかぶって。
-自分のキャラクターができあがったのですね。
はい、そういえば2ヶ月の内、最後の一週間は語学学校の授業も残っていたのに授業に出ないでバックパッカーのように旅行をしていました。それも初めてだから自分にとっては学校の授業より大事で…挑戦したかったんです。
-留学に行ったのに、いつのまにか学校の枠を超えてしまったのですね。(笑)